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11月23日の高取城と土佐街道お城祭りを訪ねる-1

11月28日     11月23日の高取城と土佐街道お城祭りを訪ねる-1
                歴史探訪の会 会員例会 歩程約6㎞
コース:橿原神宮前~バス~高取城八幡口~天守跡~砂防公園(昼食・トイレ)
~児童公園・祭り~土佐街道・歴史行列~壺阪山駅(ゴール)
此の日の参加者は19人だった・・・
土佐街道で歴史行列を見た後、知人と2人でキトラ古墳周辺地区迄歩いて~
展望台やら四神館無いを見学して公園内を散策~飛鳥駅へ歩いてゴール。
此の日の私の万歩計は、24259歩で約16.2km歩いたことに・・・
志都美駅へ向かう
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志都美駅
葛城山~二上山、二上山のアップ?
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志都美駅のホーム
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畝傍駅で降りて八木西口駅へ乗り換え
八木西口駅ホーム
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橿原神宮駅で受付・貸切バスで高取城址八幡神社口へ?
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幸せの黄色いポスト
平成28年10月7日 『黄色いポスト』を設置した。橿原市は、宮崎市との
姉妹都市盟約50周年を記念し 、橿原郵便局のご協力も得 、近鉄橿原神
宮前駅中央出口の広場に「黄色いポスト」が 設置された。このポストは、
縁結びで有名な青島神社がある宮崎市の『海岸』や、天孫降臨の地である
『高千穂』など、神武天皇にゆかりの観光スポット設置されている 「幸せの
黄色いポスト」と同様、橿原市の 新たな観光資源と して活用するもの。
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バスを降りて少し歩くと”七つ井戸”の辺りから高取城跡へ・・・
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高取城
高取城(たかとりじょう)は、奈良県高市郡高取町高取にあった日本の城である。
別名、高取山城。江戸時代は高取藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。
城は、高取町から4キロメートル程南東にある、標高583メートル、比高350メートル
の高取山山上に築かれた山城である。山上に白漆喰塗りの天守や櫓が29棟建て
並べられ、城下町より望む姿は「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」
と謡われた。なお、土佐とは高取の旧名である。
曲輪の連なった連郭式の山城で、城内の面積は約10,000平方メートル、周囲は約
3キロメートル、城郭全域の総面積約60,000平方メートル、周囲約30キロメートルに
及ぶ。日本国内では最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)と
ともに日本三大山城の一つに数えられる。元和元年(1615年)の一国一城令の際
も重要な山城として破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されている。
歴史
南北朝時代、南朝方であった越智邦澄が元弘2年(正慶元年、1332年)に築城した
のが始まりと伝えられている。当初は越智氏の本城である貝吹山城の支城として
機能していた。越智氏の支配が長く続き、戦国時代には高取城が越智氏の本城と
なっていたようである。貴重な城郭資料として昭和28年(1953年)3月31日に国の
史跡に指定された。平成18年(2006年)に、日本100名城に選定された。
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二の丸跡
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十五間多門跡
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本丸跡へ
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本丸からの眺望
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此の続きは、
11月23日の高取城と土佐街道お城祭りを訪ねる-2 として
             下記のメインブログへ詳細を投稿します。
            http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、本丸跡から出て~
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大手道へ
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猿石
高取城二ノ門外、城下町に下る大手筋と岡口門の分岐点にあり。制作は、飛鳥
時代の斉明朝あたりと推定される。高取城築城の際、石垣に転用するために明
日香村から運ばれたと言われている。 明日香村檜隈(ひのくま)の吉備姫王
(きびのひめみこ)の墓の域内にある石仏像と同類のものである。 郭内と城内
の境目を示す「結界石」とした説もある。
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史跡高取城址石碑&宗泉寺石碑&聖天さん
宗泉寺
高取藩主植村氏の菩提寺である。もともとは植村家政の下屋敷であった。
元禄11年(1698年)に寺として創設。植村氏累代の墓碑がある。
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砂防ダム公園で昼食休憩
上子島における2つの渓流が合流するところで壺坂山駅と高取城跡の中間に
位置する。ハイカーが利用しやすいよう休憩できる広場等を設け、砂防、防災
的な機能を果たすとともに水と緑豊かな公園として整備された。
阿波野青畝の句碑
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水車小屋
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植村家
なまこ壁&長屋門
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児童公園前に復元された松ノ門
此処で解散、土佐街道の歴史行列を各自鑑賞??
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知人と2人でキトラ古墳周辺地区へあるいて
キトラ古墳
国営飛鳥歴史公園HPより引用
キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳
です。石室の天井には本格的天文図が、壁には四つの方位を守る神とされる四
神や十二支の美しい絵が描かれています。飛鳥歴史公園内キトラ古墳周辺地区
の南に位置しています。
キトラ古墳は、檜前の集落を越えて阿部山に向かう山の中腹にあります。
二段築成の円墳で、上段が直径9.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さは上
段・下段あわせて4mを少し超えると推測される。1983(昭和58)年11月7日に石
室内の彩色壁画のひとつである玄武が発見されて、世間や学会から注目を集め
ました。2000(平成12)年には国指定史跡に指定され、続いて特別史跡に指定さ
れました。 名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼
ばれたという説、古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったとい
う説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち
北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎)から「亀虎」と呼ばれていた
という説など、いろいろな説があります。
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キトラ古墳
キトラ古墳は7世紀末〜8世紀初め頃に造られたと推測されています。古墳時代と
呼ばれる時代の終わり頃です。この頃の古墳は終末期古墳と呼ばれ、古墳時代
前期の巨大な前方後円墳から円墳や方墳へと形が変わり、古墳そのものも小さ
くなりました。
誰の古墳か?
天武天皇の皇子である高市皇子、高官であった百済王昌成、古墳周辺一帯が
「阿部山」という地名であることから右大臣の阿部御主人など、いろいろな人物が
想像されています。また、金や銀を使った副葬品や豪華な装飾をほどこしたと推
測できる木棺などから、かなり身分の高い人のお墓であったことがわかります。
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キトラ古墳周辺地区の展望台から全貌?を
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知人と2人で飛鳥駅へ歩いて・・・・

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