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11月17日の大坂城&大川&熊野街道を紅葉散策-1

11月23日     11月17日の大坂城&大川&熊野街道を紅葉散策-1
                昼飲み会ハイキング大阪城~天王寺へ
11月17日の昼飲み会参加者は5人、ハイキング参加者は3人、K場さん、M吉さんと3人で
約10kmの紅葉散策、紅葉散策の後は湯処・あべの橋で汗を流して昼飲み会へ合流・・・
此の日の私の万歩計は、26285歩で約19.4km歩いたことに・・・
ハイキングコース  大阪城~天満橋~八軒屋浜~高津宮~天王寺  歩程約10㎞
森ノ宮駅~大阪城公園(NHK前~京橋口)~大坂橋~川崎橋~天満橋~八軒屋浜~中之
島公園(昼食)~八軒屋浜~榎大明神~高津宮~天王寺公園(13:30頃)⇒湯処・あべの橋
14:50にJR天王寺駅で待合せて、居酒屋「甘太郎」で昼飲み会で盛り上がった・・・
志都美駅~森ノ宮駅
森ノ宮駅~
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大阪城公園(NHK前~京橋口)
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大坂橋~
大坂橋(おおさかばし)は、大阪市の寝屋川と府道石切大阪線を跨ぎ、大阪城公園と
毛馬桜之宮公園を結ぶ自転車・歩行者専用橋。大阪市中央区大阪城と都島区片町
1丁目の間を結んでいる。橋の南側には日本経済新聞大阪本社と旧大阪砲兵工廠
化学分析場跡がある。
橋の名前の由来は、1925年、東横堀川の浚渫中に「大坂橋 天正13年」(1585年)の
銘が刻された擬宝珠(ぎぼし)が発見されたことにちなんでいる。この「大坂橋」が当
時どこに架かっていたのかは不明である。
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川崎橋
川崎橋(かわさきばし)は、大阪市北区天満と都島区網島町を結ぶ大川に架かる自転
車・歩行者専用斜張橋。 国土交通省が全国的に整備を進めている大規模自転車道の
ひとつ、北大阪サイクルライン(大阪市北区中之島~大阪府吹田市万博記念公園)の
大川を渡る地点に架かる。浪速の名橋50選選定橋。昭和53年度の土木学会田中賞を
受賞。橋名は、かつて架橋地点にあった渡船「川崎渡」から採られている。
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天満橋・大川沿いをライオン橋迄
天満橋(てんまばし)は、大川に架かる天満橋筋(大阪府道30号大阪和泉泉南線)の橋。
難波橋、天神橋と共に浪華三大橋と称され、最も東(上流)に位置する。大阪市北区天
満と大阪市中央区天満橋京町の間を結んでいる。
大阪では珍しい2階建ての橋になっており、上部は土佐堀通をまたぐ跨道橋になっている。
天満橋南詰には天満橋交差点があり、ここより北を天満橋筋、南を谷町筋という。大阪市
営地下鉄谷町線が天満橋の地下を通過している。
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難波橋(なにわばし)・・・ライオン橋とも呼ばれる
難波橋は、大阪市の大川に架かる橋。浪速の名橋50選選定橋。
大阪市中央区北浜~北区西天満の堺筋にかかる、全長189.7m、幅21.8mの橋である。
中之島を挟んで土佐堀川と堂島川の2つの川を渡る。橋の中央で下流側に中之島通を
分岐させ、上流側に中之島公園へ降りる階段が設けられている。
難波橋辺りの最初の橋は、元をたどると704年ごろに行基によって架けられたといわれ
ている。天神橋、天満橋と共に浪華三大橋と称され、最も西(下流)に位置する。「浪華
橋」とも表記され、明治末期まで堺筋の一筋西の難波橋筋に架かっており、橋の長さが
108間(約207m)もの大型の反り橋だったという。1661年(寛文元年)天神橋とともに幕
府が管理する公儀橋とされた。
黒雲母花崗岩を素材にした獅子像(ライオンの石像、天 岡均一作)が左右両側に有る為、
「ライオン橋」とも呼ばれている。
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中之島公園・バラ園
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天神橋の下、中之島公園で(昼食)
天神橋(てんじんばし)は、大川に架かる天神橋筋(大阪市道天神橋天王寺線)の橋で、
大阪市北区天神橋と大阪市中央区北浜東の間を結んでいる。
1594年(文禄3年)の架橋とされ、当初は大阪天満宮が管理していたが、1634年(寛永
11年)に他の主要橋とともに幕府が管理する公儀橋となった。難波橋、天満橋と共に
浪華三大橋と称され、真ん中に位置する。
浪華三大橋の中で全長が最も長い。また、1832年(天保3年)の天神祭において、橋上
からだんじりが大川へ転落して溺死者13名を出す事故があり、「天神橋長いな、落ちた
らこわいな」と童歌に歌われた。
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中之島公園の先端の噴水
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噴水が噴出した
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八軒屋浜
上町台地北端の西麓、天満橋と天神橋の間において、平安時代までに渡辺津(わたな
べのつ)と呼ばれる外港が成立した。大江、国府津、窪津、楼津などとも呼ばれ、摂津国
の政治の中心であった渡辺の地はまた、四天王寺、住吉大社、高野山、そして熊野三山
への参詣道である熊野街道の起点として駅楼が置かれ、海陸交通の要地として栄えた。
大阪平野の形成にともなって西へ移動した河口と離れて河港に姿を変えたことや、遷都
等の要因によって外港としての役割は縮小したが、同地における寄港地としての機能は
近世以降も残ることになる。
江戸時代には、同地は船宿などが8軒並んでいたことから「八軒家浜」と呼ばれるように
なり、京(伏見)と大坂を結ぶ「三十石船」と呼ばれる過書船のターミナルとなるなど、淀川
舟運の要衝として栄えた。
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此の続きは、
11月17日の大坂城&大川&熊野街道を紅葉散策-2 として
            下記のメインブログへ詳細を投稿します。
          http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、熊野街道~
熊野街道~榎大明神
熊野古道(くまのこどう)は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へ
と通じる参詣道の総称。熊野参詣道ともよばれる。紀伊半島に位置し、道は三重県、奈良
県、和歌山県、大阪府に跨る。
熊野古道とは、主に以下の5つの道を指す。
紀伊路(渡辺津 - 田辺)
小辺路(高野山 - 熊野三山、約70km)
中辺路(田辺 - 熊野三山)
大辺路(田辺 - 串本 - 熊野三山、約120km)
伊勢路(伊勢神宮 - 熊野三山、約160km)
これらの多くは、2000年に「熊野参詣道」として国の史跡に指定され、2004年に「紀伊山地
の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産における「遺跡および文化的
景観」)として登録された。なお、その登録対象には紀伊路は含まれていない。
熊野古道の遺構の特徴として、那智山にある大門坂など舗装に用いられた石畳が残ってい
ることがある。石畳が用いられたのは、紀伊半島が日本でも有数の降雨量の多い地域だか
らである。
熊野周辺は、日本書紀にも登場する自然崇拝の地であった。熊野三山は、天皇から貴族、庶
民に至るまであらゆる階層の人々の信仰を集め、皇室で参拝したのは、908年(延喜7年)の
宇多法皇の熊野御幸が最初と言われる。熊野御幸とは、上皇の熊野詣のことで、1281年(弘
安4年)の亀山上皇の熊野御幸まで、その期間は374年間、94回行われた。
熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったきっかけは、1090年の白河上皇の熊野御
幸からと言われている。白河上皇はその後あわせて9回の熊野御幸を行った。これにより京
都の貴族の間に熊野詣が行われるようになった。その後、後白河上皇も33回の熊野御幸を
行っている。源氏や平氏にも信仰され、平安・鎌倉時代の僧侶であった一遍や文覚も参詣した。
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太閤(背割)下水見学施設
豊臣秀吉による大坂城築城の際に原型が造られたと言われている石積の下水溝です。
豊臣秀吉が大坂城築城に着手したのは、天正11年(1583年)のことでした。町づくりにあたっ
ては、大阪が、淀川・大和川のデルタ地帯にできた低湿な土地であったので、道路整備と同時
に町屋から出る下水を排水するための下水溝が建設されました。
東西の横堀川に囲まれた城下町は、大坂城に向かう東西道を軸に碁盤の目に区切られ、その
道路に面した建物の背中どうしのところ(裏口)に下水溝が掘られました。この下水溝は「背割
下水」、あるいは太閤秀吉にちなんで「太閤下水」と呼ばれています。当時の大阪は、この太閤
(背割)下水に挟まれた約40間(72m)四方の区画が町割りの基本となっていました。
現在でも実際に使用されている太閤(背割)下水を地上に設置したのぞき窓から自由にご覧い
ただけます。
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榎大明神
•第二次世界大戦の大阪大空襲の際、この榎木大明神のところにも猛火が迫ってきた。しかし
不思議なことに火は榎木大明神の前でぴたりと止まり、そこより東側一帯は焼失を免れた。
•御神木が立っている。樹齢約650年。楠木正成(くすのきまさしげ)が植えたともいわれる。
•白蛇を祀っている。
1988年頃、枯れそうになったそうですが、ある樹医さんの延命施術のおかげで助かったそうで、
今もなんとか元気でやっておるようです。ちなみに、この木、実はエノキじゃないんだそうです。
榎木大明神という名前なので、てっきりエノキかと思っていましたが、実際はエンジュだそうです。
樹医さんに診てもらった際に、エンジュだと鑑定されたそうだが、昔からの馴染みで今もエノキさ
んと呼び続けているらしいです。
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熊野街道~高津宮
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高津宮
高津宮(こうづぐう)の縁起は、平安初期の(貞観8年)清和天皇の勅命により、仁徳天皇の旧
都の遺跡を探索し、現在の大阪城付近を社地と定め社殿を築き、仁徳天皇を主神として祭っ
たのを創始としている。
以後皇室を始め時の幕府等の度々の造営寄進を受け、浪速津の守護神として信仰を集めて
きた。1583年(天正11年)豊臣秀吉の大阪城築城に際し、「比売古曽社」があった現在地に
遷座し今日に至っている。
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真言坂~生国魂神社
真言坂
真言坂(しんごんざか)・・・天王寺七坂の一つ
生國魂神社の北側にある南北の坂。かつては真言宗の寺院が六坊あった。
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※天王寺七坂(てんのうじななさか)は、大阪市天王寺区の上町台地西側(夕陽丘地区)に
ある7つの坂の総称。
北から順に、真言坂(しんごんざか)生國魂神社の北側にある南北の坂。かつては真言宗の
寺院が六坊あった。源聖寺坂(げんしょうじざか)坂の下に浄土宗・源聖寺がある。口縄坂(く
ちなわざか)愛染坂(あいぜんざか)坂の上に勝鬘院(愛染堂)がある。清水坂(きよみずざか)
清水寺の北側にある。天神坂(てんじんざか)安井神社(天神(菅原道真)が祀られている)へ
通じる坂。逢坂(おうさか)一心寺の北側の国道25号線の坂。

生国魂神社
大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在
の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も建立され繁栄したが、石
山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に現在地に遷座されている。
この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)は、国土の神
霊とされる。両神は平安時代に宮中でも常時奉斎されたほか、新天皇の即位儀礼の1つである
難波での八十島祭(やそしままつり)の際にも主神に祀られた重要な神々で、生國魂神社自体
もそれら宮中祭祀と深い関わりを持つとされる。また、同様に大坂城地から遷座されたという久
太郎町の坐摩神社とともに、難波宮との関わりも推測されている。その後中世・近世を通じても
崇敬を受け、戦前の近代社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられた、大阪の代
表的な古社の1つである。
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愛染坂(あいぜんざか)
坂の上に勝鬘院(愛染堂)がある。坂の横に大江神社が有る。
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大江神社
大江神社(おおえじんじゃ)とは大阪府大阪市天王寺区にある神社。四天王寺の鎮守である四
天王寺七宮のひとつ。祭神は豊受大神、素盞嗚尊、欽明天皇、大己貴命、少彦名命。
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境内奥にパワースポット?
当神社には狛虎というものがある。狛虎の由来は不詳であるが、300年以上前の作と考えられ
ている。その昔、狛虎の奥に毘沙門天を祀る堂があり、虎は毘沙門天を護るとされている。狛
虎は元々は阿吽で1対をなしていたが、吽形の方が明治初期に某寺に持ち出されてしまったと
言われている。現在の吽形は2003年に再建されたものである。
狛虎には阪神タイガースのファンより、メガホン、虎の小さい置物やぬいぐるみなどが供えられ
ていることがある。また、狛虎付近には阪神タイガースの優勝を祈願する張り紙や木札がある。
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愛染堂
愛染堂(勝鬘院)  あいぜんどう (しょうまんいん)
日本最初の社会福祉施設、施薬院として建立
西暦593年(推古天皇元年)、聖徳太子は、敬田院、施薬院、療病院、悲田院からなる四天王
寺を建立されました。 その中の施薬院は、あらゆる薬草を植え、病に応じてあまねく人々に与
えられるようにと現在の愛染堂の場所に建立されたのです。当時の面積は現在より一層広大
であり、また、建立の意味あいからいうと、我が国の社会福祉事業発祥の地とも言えます。
施薬院から勝鬘院へ
施薬院が勝鬘院と呼ばれるようになったのは、このお寺で聖徳太子が勝鬘経というお経を人々
に講ぜられていたため、そして勝鬘経に登場するお姫様・シュリーマーラー夫人(勝鬘夫人)の
仏像が本堂に祀られているため、後にこう呼ばれるようになりました。主な堂塔として、金堂
(府の指定文化財)と多宝塔(国の重要文化財・旧国宝)があります。
勝鬘院から愛染堂
正式名称は勝鬘院ですが、金堂に愛染明王が奉安されており、また愛染明王信仰の普及と
ともに、勝鬘院全体が愛染堂と通称されています。
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谷町筋・・・前方にあべのハルカス
あべのハルカス
2017年現在、日本で最も高いビルであり、日本初のスーパートール(高層ビル・都市
居住協議会の基準による300m以上の超高層建築物)でもある。
建築規模は高さ300m、延床面積21万2,000m2、地上60階・地下5階(SRC・S造)で
ある。2011年2月から地上工事が始まり、2014年3月に竣工、同年3月7日にグランド
オープンした。工事中の2012年8月時点で高さ300mに到達し横浜ランドマークタワー
(高さ296m)の高さを抜き、「日本一高いビル」の称号が大阪に移った。
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天王寺公園(13:30頃)~⇒湯処・あべの橋
湯処・あべの橋
天然温泉・・・大阪市港区の『天然温泉テルメ龍宮』から毎日搬送しています。
源泉名 龍宮温泉 1号 阪市港区2丁目3番33号  深さ  1,500m
泉質 ナトリウム塩化物強塩温泉   泉温 摂氏53.9度(浴槽温度40~42℃)
効能 ・神経痛・筋肉痛・関節・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・打ち身・くじき
    ・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・切り傷
    ・やけど・慢性皮膚病・虚弱体質・慢性婦人病
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居酒屋「甘太郎」
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