SSブログ

1月27日の株式会社 中本酒造店「山鶴」-1

1月31日       1月27日の株式会社 中本酒造店「山鶴」-1
                近鉄 酒蔵みてある記ハイキング
此の日は、知人と3人で生駒市の中本酒造店「山鶴」を目指し、歩程8㎞の酒蔵
みてある記ハイキングに参加、此の日の私の万歩計は、26031歩で約19.2km
歩いたことに・・・
コース 近鉄駅フリーハイキング 菖蒲池駅奈良方面行改札前広場で受付
菖蒲池駅前~蛙股池~菖蒲池神社~大和文華館~大渕池公園~松柏美術館~
長弓寺~株式会社中本酒造・無料試飲&ふるまい甘酒~コースを変えて~杵築
神社~富雄駅 →西大寺駅中でお茶 →近鉄郡山駅~JR郡山駅 →王寺駅
志都美駅
葛城山から二上山
P1278611.JPG
菖蒲池駅前~蛙股池(かえるまたいけ)
蛙股池(かえるまたいけ)
日本書記にも読まれている、蛙股池(607年に作られた菅原池、日本最古のダム
と言われています)
P1278612.JPG
菖蒲池神社(あやめいけじんじゃ)
あやめ橋を渡った蛙股池の畔にあり、607年に作られた菅原池(日本最古のダム)
の守護神として市杵島姫命(いちきしまひめ)を祀ったのが始まりと言われています。
P1278614.JPGP1278617.JPGP1278619.JPG

菖蒲池神社・蛙股池~大和文化館~大渕池公園
蛙股池
P1278626.JPG
※大和文華館
日本書記にも読まれた蛙股池を望む高台に位置し、周囲を緑に囲まれた自然豊か
な美術館です。1960年(昭和35年)10月に開館し、所蔵品は日本、中国、朝鮮の物
を中心に2000件を超えており、その中には「松浦屏風」などの国宝4件のほか、重要
文化財31件も含まれています。
大渕池公園へ向かう
P1278621.JPGP1278624.JPG
大渕池公園(トイレ休憩)
大渕池
P1278628.JPGP1278631.JPG
御嶽山大和本宮看板
※御嶽山大和本宮
木曽の御嶽山を信仰する御岳教の神社です。江戸時代に、御嶽信仰の隆盛に
伴って「御嶽講」が設立され明治になり開教。東京に本庁が置かれました昭和
40年9月に現在の広々とした静かな場所に建立・遷座しています。南西側に大
渕池公園が広がっていて、桜の名所としても知られています。
P1278632.JPG
大渕池を渡り
松柏美術館へ向かう
P1278635.JPGP1278636.JPG
松柏美術館
松柏美術館は、1994年(平成6年)3月に、上村松園(しょうえん)・松篁(しょうこう)・
敦之(あつし)三代にわたる作品、草稿、写生等、美術資料の収集と保管、展示を通
じ、三代の画業を紹介する事を目的として開館しました。また、敷地内には庭園が設
けられており、四季折々の植物の他、大渕池や建築家、村野東吾氏が意匠を凝らし
た旧佐伯邸を一望する事が出来ます。
P1278658.JPGP1278660.JPG

松柏美術館庭園
P1278639.JPGP1278641.JPGP1278643.JPGP1278645.JPGP1278650.JPGP1278655.JPG
松柏美術館をあとに
大渕池に架る橋
P1278662.JPG
長弓寺へ下る前に真弓の公園で昼食
長弓寺へ向かう
P1278664.JPG

長弓寺駐車場
P1278669.JPG
長弓寺・・・真弓山長弓寺(まゆみやまちょうきゅうじ)
奈良時代、土地の豪族・小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)とその養子であった
長麿(ながまろ)が、若年の聖武天皇に従ってこのあたりで狩猟をした時のこと、森よ
り一羽の怪鳥が飛び立ったのを見て、親子でこれを追っていました。この時、養子で
ある長麿(ながまろ)が誤って父・長弓(たけゆみ)を射殺してしまいました。聖武天皇
はこのことを深く哀しみ、行基に命じてこの地に小さな御堂を建て十一面観音をおま
つりになって長弓(たけゆみ)菩提を弔いました。また、自らも仏教に帰依され、この寺
を深く信仰なさいました。時に神亀5年(728年)、聖武天皇が28歳の頃だと伝えられ
ています。本尊十一面観音の頂上の仏面は、聖武天皇の弓の柄で彫られているとい
う逸話が残っています。 平安時代には、桓武天皇の頃、藤原良継が伽藍を整備し丈
六(じょうろく)の阿弥陀、釈迦、四天王を安置して崇敬されました。
また、弘法大師がこの地を訪れた際も、善女龍王を感得されたと伝えられています。
その後堀川天皇が、伽藍を修復し大般若経六百巻を施入して、世の平安と諸人の快
楽(けらく)を祈られました。しかし、平安末期・安徳天皇の御代には火災にあったと、
東大寺資材帳に記録があります。
鎌倉時代の弘安2年(1279年)には現本堂(国宝)が建立されましたが、当時は蒙古
の来襲で寄進が意の如く集まらず約60年間、素屋根であったようです。現存する本堂
は、この時に建立されたもので、今は檜の皮で立派に屋根が葺かれています。
P1278670.JPGP1278671.JPGP1278673.JPGP1278675.JPGP1278679.JPG
長弓寺途中迄
此の続きは、
1月27日の株式会社 中本酒造店「山鶴」-2 として
        下記のメインブログへ詳細を投稿します。
       http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、長弓寺途中から
長弓寺途中から
P1278680.JPGP1278682.JPGP1278692.JPG
中本酒造・無料試飲&ふるまい甘酒
中本酒造HPより
奈良と大阪の間に横たわる生駒 山系。その東北端に近い山ふところに「山鶴」の
醸造蔵はあります。蔵の歴史は古く、 代々伝えられた古文書によれば、創業は江
戸時代享保十二年(1727)にまでさかのぼり ます。以来、今日まで数えて約290年
の間、この地で酒造業を営んできました。 いままでも、そしてこれからも純米酒にこ
だわり、より多くの日本酒ファンにご満足 いただけますよう、「頑なな気持ちが結晶
したうまさ」の酒造りを続けていきたいと思って おります。
P1278697.JPGP1278700.JPGP1278704.JPGP1278708.JPGP1278713.JPGP1278721.JPGP1278723.JPG
中本酒造を後に
杵築神社へ向う
P1278725.JPG
神武天皇聖蹟 鵄邑顕彰碑前
天忍穂耳神社前
此の日は前を通るだけでどちらへも行かなかったが・・・
P1278727.JPG
※神武天皇聖蹟 鵄邑顕彰碑
皇紀2600年記念事業の時に建てられた鵄邑(とびむら)顕彰碑です。
石碑の裏には、金鵄の瑞兆により、この地が鵄邑と呼ばれるようになった事が・・・
※金の鵄(トビ)のはなし
天鈴55年、紀元前663年(即位前3年)12月4日、長髄彦との決戦~『日本書紀』
天鈴55年、紀元前663年(即位前3年)12月4日、磐余彦尊(いわれひこ)の軍はついに
長髄彦(ながすねひこ)を討つことになった。しかし戦いを重ねたが、なかなか勝利をも
のに出来なかった。そのとき急に空が暗くなって雹(ひょう)が降り出した。そこへ金色
の不思議な鵄(とび)が飛んできて、磐余彦尊の弓先に止まった。
金鵄(きんし)とは、長髄彦の妹であり饒速日命の妻である御炊屋姫(みかしやひめ)
である。長髄彦軍は金鵄(きんし)を見ると戦意を喪失し、使者を磐余彦に送っている。
この伝承から判断すると、金鵄(きんし)とは長髄彦に強烈なメッセージを送れる人物
だったようである。長髄彦の妹であり、饒速日命の妻であり、宇摩志麻遅(うましまち・
可美真手とも表記)の母である御炊屋姫(みかしやひめ)が金鵄(きんし)だった?

紀元前663年(神武即位前3年)、磐余彦尊の軍はついに長髄彦を討つこととなる。金
色の不思議な鵄(とび)が飛んできて磐余彦尊の弓先に止まった。鵄は光輝いて雷光
のようであった。この為、長髄彦の兵達は力を出せなくなった。この鵄にちなみ、この
一帯を鵄邑(とびむら)と呼ぶようになった。

※天忍穂耳神社(あめのおしほみみじんじゃ)前
アメノオシホミミ(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)は、日本神話に登場する神。
『古事記』では正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、『日本書紀』では正哉吾勝勝速日天忍
穂耳尊、『先代旧事本紀』では正哉吾勝々速日天押穂耳尊と表記する。
『古事記』では、アマテラスとスサノオの誓約の際、スサノオがアマテラスの勾玉を譲り
受けて生まれた五皇子の長男で、勾玉の持ち主であるアマテラスの子としている。
『日本書紀』の一書では次男とされている。高木神の娘であるヨロヅハタトヨアキツシヒ
メとの間にアメノホアカリとニニギをもうけた。
葦原中国平定の際、天降って中つ国を治めるようアマテラスから命令されるが、下界は、
物騒だとして途中で引き返してしまう。タケミカヅチらによって大国主から国譲りがされ、
再びオシホミミに降臨の命が下るが、オシホミミはその間に生まれた息子のニニギに行
かせるようにと進言し、ニニギが天下ることとなった(天孫降臨)。
稲穂の神、農業神として信仰されている。

杵築神社(きづきじんじゃ)・・・此処は奈良市
祭 神:素戔嗚命、大国主命、市杵島姫命。境内社:春日神社、大山祗神社、神明宮。
鎮座地:奈良県奈良市二名平野二丁目
大和国添上郡の富雄川東岸にある杵築神社は、用明天皇二年(587)に、敏達天皇天
皇の皇子春日王が祖神・牛頭天王を祀ったのが創建と伝わる。鎮座地は現在の奈良
市内、二名平野(にみょうひらの)と呼ばれている地で、富雄川が北から南に流れる左岸
に鎮座している。社殿は西面していて、富雄川に架かる杵築橋から東に向って真直ぐ延
びた参道は、両側が美しく手入れされた松並木となっている。この境内入口から約2km
南に、近鉄奈良線・富雄駅がある。
P1278729.JPGP1278734.JPGP1278738.JPG
富雄駅 →西大寺駅中でお茶
近鉄郡山駅~JR郡山駅
P1278740.JPG
王寺駅~自宅へ
高速道路の裏道で
P1278743.JPG

nice!(5)  コメント(0) 

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。