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11月21日のぽっくり寺参拝と三室山&竜田川公園の紅葉-1

11月26日       11月21日のぽっくり寺参拝と三室山&竜田川公園の紅葉 
                   歩こう会特別企画(紅葉) 歩程約7㎞
此の日の参加者は40人、私の万歩計は、17600歩で約13km歩いた事に・・・
王寺駅前(受付・スタート)~神岳神社(かみおかじんじゃ)~三室山(みむろやま)~
吉田寺(きちでんじ)参拝~龍田神社~竜田公園~竜田城跡~王寺駅(解散)
次週、11月28日が歩こう会の例会で、けいはんな公園紅葉散策を予定しており、竜田
公園の紅葉散策は、近場での紅葉散策の保険のようなものだったが、吉田寺での念仏
講体験と三室山と竜田公園周辺の素晴らしい紅葉散策に皆さん満足した様子の一日
でした・・・
志都美駅
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王寺駅西友前&新王寺駅前
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神岳神社(かみおかじんじゃ)
神岳神社
神岳神社は、三室山の中腹に鎮座する神社で境内の縁起には聖徳太子が斑鳩
宮造営の際に飛鳥の産土神をこの地に安置し、太子之勅願所として祭祀されて
いたといわれます。本尊の地蔵菩薩像と聖観音菩薩像は融念寺(恵宝殿)に安
置されています。
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三室山(みむろやま)
三室山は、標高82mの小さな山で、古来より神の鎮座する山とされており、神南備
山とも呼ばれます。平安時代の歌人・能因法師が
     「嵐ふく 三室の山の もみち‘葉は 竜田の川の 錦なりけり」(歌碑)と
詠んでいることでも知られ、春には300本のソメイヨシノが山の半分を覆い桜の名所
ともなっています。
此処には、能因法師の歌と在原業平の竜田川の歌が・・・
     「千早ぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」歌も・・・
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吉田寺へ向かう
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吉田寺(きちでんじ)
吉田寺
吉田寺は、清水山を号とする浄土宗の寺院です。本尊は阿弥陀如来像(奈良県下
で最大)で多宝搭とともに国の重要文化財に指定されています。天智天皇の勅願
により恵心僧都(源信)が開基し、恵心僧都が母親の臨終の際、祈願した衣服を着
せかけたところ安らかに往生したと伝えられており、御本尊に祈ると腰から下の世
話をかけずに往生できるといわれることから「ぽっくり寺」とも呼ばれています。
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龍田神社
当社の神使は鶏。手水鉢に鶏の像が置かれている。
聖徳太子が法隆寺を建立しようとして龍田明神の神誨を受け、この地に堂塔を建立し、
守護神として本宮の分霊を勧請。本宮に対して新宮、または新龍田ともいう。
ただし、法隆寺創建以前から祀られていたとする説もある。
明治以前は法隆寺から当社へ別当をおき、例祭には30人の僧侶を遣わして法会が
行われていたが、明治になって神仏分離により、法隆寺から離れ、龍田大社の摂社と
なったが、大正十年県社に列し、翌年、龍田大社から分離独立した、
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金剛流発祥之地碑
能楽の金剛流は,大和猿楽4座(結崎・円満井・外山・坂戸)の一つ「坂戸座猿楽」が
ルーツで、ここ斑鳩の里を発祥の地とする。 大和4座は、大和一円の大寺に所属した
猿楽座で、外山座と結崎座は 現在の談山神社に、円満井座は興福寺に、坂戸座が
法隆寺に属したといわれ、後にそれぞれ 観世座・宝生座・金春座・金剛座と呼ばれる
ようになった。
坂戸座は 坂戸孫太郎氏勝を流祖とし、6世の三郎正明から「金剛」を名乗った。華麗・
優美な芸風から「舞金剛」、装束や面の名品を多く所蔵することから「面金剛」などとも
呼ばれる。豪快な芸風で知られた 7世金剛氏正は「鼻金剛」の異名を取り、中興の祖
とされる。
江戸初期に金剛流から喜多流が分派し“四座一流”と呼ばれるようになった。
この発祥碑は、斑鳩町制施行50周年を記念して、1997(平成9)年に建立された。
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竜田公園(昼食)
竜田川は、在原業平が
  「千早ぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」(歌碑)と
詠むなど古くより紅葉の名所で、今は遊歩道が整備された都市公園です。
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足元には色とりどりの落ち葉
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龍田城跡へ向かう
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龍田城跡
室町時代に龍田氏の館があったとも云われる。 慶長6年(1601年)大和国に2万
4千石を領して入部した片桐且元によって陣屋が築かれた。 且元は間もなく摂
津国茨木に移り、且元が没すると孝利が継いだ。 孝利没後は且元の四男為元
が継いだが1万石に減封され、元禄7年(1694年)断絶となった。

龍田城跡~王寺駅(解散)
先頭で旗を持って先導してたので休憩してた時のみ写真撮影だった為、写真が少ない・・・
歩こう会終了後は、王寺の餃子の王将で小宴&反省会?皆さんと別れてバスで帰った。

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