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12月2日の紅葉の甘南備山の樹木観察と史跡を巡る-1

12月5日       12月2日の紅葉の甘南備山の樹木観察と史跡を巡る-1
                   JRふれあいハイキング 歩程約10㎞
コース JRふれあいハイキング 京田辺市観光ボランティアガイド協会主催 参加費300円
京田辺駅(9:35集合)~棚倉孫神社~甘南備寺~一休寺(酬恩庵)~薪神社・能楽発祥碑~
甘南備山・展望台(昼食)・神南備神社・白石・三角点~青少年野外活動センター~そよか
ぜ幼稚園~観世座発祥の碑~松井山手駅(解散)
此の日はまさに秋の素晴らしいハイキング日和に素晴らしい紅葉の森と史跡を散策出来て、
楽しい一日となりました。今日田辺市観光ボランティアガイドの皆さん、有難う御座いました。
此の日の私の万歩計は、23354歩で約17.2km歩いたことに・・・

棚倉孫神社(たなくらひこじんじゃ)
「棚倉」とは穀物を収蔵するに当たり、湿気をさけるための床を設けた倉庫をいい、養蚕に
も用いられた。筒城(綴喜)は古来から渡来人による養蚕の盛んな地域であり、その蚕は
貴重で「天の虫」ともいわれ、蚕が棲む倉を崇め神格化して祀ったのが神社としての興り
ではないかとも考察されている。 境内には、本殿のほか、拝殿、絵馬殿、社務所、式場な
どの建物が並び、本殿手前右手にある石造燈篭は桃山時代の作である。 2年に1度の例
祭では、秋の収穫を祝って約30種の穀物や野菜などで飾られた「ずいきみこし」がくりださ
れる。高さ3m、1.5m四方、重さ約1トン、屋根に赤ズイキ、鳥居に青ズイキ、壁に大豆、
三度豆、玄米、小豆、頂上の鳳凰には南瓜や百日紅の花、他にも赤、青の唐辛子、赤な
す、たかのつめ、菊の花など全部で30種類ほどの野菜や穀物、乾物が飾りつけられ、神
々に五穀豊穣を祈願する。天香古山命(あまのかごやまのみこと)を祭神とする旧天神ノ
森の産土神で、元は天神社または天満宮とも称していたが、明治になって式内棚倉孫神
社と改めた。 本殿0は、一間社流造り桧皮葺であり、桃山時代の建築である。拝殿は入母
屋造りで、前後に軒唐破風を設けた桧皮葺の江戸時代中期を代表する建築である。 社務
所は元の神宮司であった旧松寿院で、現存する江戸末期の貴重な建物である。その他本
殿の右側にある四角形石灯籠は天正2年(1574年)刻銘があり、桃山時代の傑作である。
絵馬舎には白川芝山筆の「猛虎図」のほか絵馬十数面を掲げている。境内全域はクスノキ
やシイの常緑広葉樹が繁茂しており、文化財環境保全地区となっている。
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甘南備寺へ向かう
天井川の堤防を歩いて・・・
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甘南備寺(かんなびでら)
奈良時代に僧行基(ぎょうき)によって開創されたといわれている。甘南備山にあった甘南
備寺は、交通不便で保護も困難であったため元禄2(1668)年に現在の地に移された。もと
もと真言宗だったが、移転の際、黄檗宗に変わった。ご本尊である薬師瑠璃光如来坐像は、
比叡山の僧・慈覚大師の作と伝えられ、高さ86?、一木造り、重厚味のある藤原前期のもの
である。「耳石」といわれる穴のあいた石を備えて病魔を退散させる風習がある。今昔物語
の「山城の国神奈比寺の聖人、法華を誦して前世の報いを知りたる話」 綴喜郡の飯岡の西
北に甘奈比寺という山寺があり、一人の僧が住んでいた。この僧は日頃からこの寺を去って、
都の大寺に行きたいと思っていた。ついに行こうと決心した夜の夢に、この寺の薬師如来が
老僧となって現れ、「汝の前世は、この寺の土中に住んでいたみみずで、法華経を毎日聞い
た功徳によって、人間に生まれ代ってこの寺で法華経を誦している。この寺に縁のある身で
ある」ことを諭された。そこでこの僧は、生涯この寺に留まったという言い伝えが残っている。
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一休寺へ向かう
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一休寺(酬恩庵)
とんちの一休さんのお寺として知られている酬恩庵(通称、一休寺)は、もとは妙勝寺といい、
大応国師によって正応年中(1288-1293)に禅の道場として草創されたのが始まりである。そ
の後、元弘の戦火にかかり荒廃していたものを六代の法孫にあたる一休禅師が康生2(145
6)年に再興し、師恩に報いる意味で「酬恩庵(しゅうおんあん)」と命名された。禅師は88歳
で自寂されるまでの晩年、ここを居とされた。  現在みられる本堂は、室町幕府6代将軍足
利義教により建立され、方丈や庫裏、唐門、東司、鐘楼、浴室は加賀藩主前田利常により
復興されている(いずれも重要文化財)。 四季それぞれに風情があるが、秋の紅葉の時期
は格別の趣がある。本堂 京都最古の唐様建築 足利義教(室町幕府第6代将軍)の帰依
により、1400年代に建立された。 内部に釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩が安置されている、
室町時代の代表的な禅宗建築で重要文化財に指定されている。
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薪神社へ向かう
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薪神社(たきぎじんじゃ)・能楽発祥碑
本殿に残された棟札によると、薪神社の星野天神・住吉・武氏の三社は、天正年間(1573~
92年)に再興された。寛永6(1629)年には、薪村と大住村の山論を板文にして奉納。明暦元
(1655)年、薪村八幡宮・天満宮の縁起と宮座の定めをあらため、寛政6(1794)年に神社を
造営、明治40(1907)年、天神社と八幡社を合祀して、薪神社とした。境内には、もともと甘
南備山頂にあり、月読神が仮の姿をとって現れたと伝わる石も祀られている。また、『能楽
発祥の碑』と刻まれた石碑も建てられている。
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能楽発祥碑
「能楽は薪能即ち金春能に始まり、次に宝生能 観世能は大住に、金剛能は大和に発祥
した。昭和61年11月文学博士志賀剛」との碑文。
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甘南備山へ向かう
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此の続きは、
12月2日の紅葉の甘南備山の樹木観察と史跡を巡る-2 として
             下記のメインブログへ詳細を投稿します。
            http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、甘南備山~
甘南備山
この山は、いわば京田辺の主峰であり、「神南備」「神無火」などともいわれ、「神が隠れ
る場所」という意味を持つ山である。 甘南備山は山頂が二上形式になっており、東の「
雄山」が221.0m、西の「雌山」が201.6mである。山頂にある展望台からは京田辺
市が一望できる。 かつて平安京が定められるとき、この山の白石を南の基点として、
北の船岡山と結ぶ直線を都の中心軸に、大極殿、朱雀門、朱雀大路、羅生門などを建
設したといわれている。現在では、ハイキングコースも設置され、山歩きをする人々が
四季折々の自然を楽しむ場となっている。
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コシアブラ 「こしあぶら」・・・山菜の女王?
秋の紅葉時には、葉の色が黄色から透明な白色に変り、 その姿は秋の紅葉の中でも
ひときわ美しく映えます。
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ソヨゴ
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イロハカエデ
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ラクウショウ
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展望台(昼食)
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神南備神社
神南備神社(かんなび じんじゃ)は、神の山とされた甘南備山(かんなべやま/かんな
びやま、標高221m/217m)の頂上付近に祀られている。 
甘南備山全体を神として祀る。祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)、また、月
読神ともいう。地神として、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、相殿に大国
主命(おおくにぬしのみこと)、天兒屋根命(あめのこやねのみこと)。また、天神(あま
つかみ)として高皇産霊尊(たかむすびのみこと)、天照大神、瓊瓊杵尊(ににぎのみこ
と)の三神を祀るともいう。
式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「綴喜郡 十四座 大三座
小十一座」の「甘南備神社」に比定されている。  
創建、変遷の詳細は不明。
古来より、甘南備山は「神の依りつく山」とされ、山全体を神として信仰された。
弥生時代、甘南備山と呼ばれる。豊穣と雨乞いの祈祷の場として信仰されていたという。
平安時代、天平年間(729-749)、行基は神宮寺の甘南備寺を開創したともいう。
771年、第49代・光仁天皇の時、神封(しんぷう)一戸を寄進される。
794年、第50代・桓武天皇による平安京造営に際して、甘南備山は京都の中軸線として
朱雀大路建設の目印にされたという。
927年、平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』中「綴喜郡 十四座 大三座 小十一
座」に、「甘南備神社」とある。
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白石・三角点
794年、第50代・桓武天皇による平安京造営に際して、甘南備山の白石が京都の中軸線
として朱雀大路建設の目印にされたという。
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青少年野外活動センターへ向かう
青少年野外活動センターでトイレ休憩
そよかぜ幼稚園
七棟の園舎に造形作家の新宮晋さんの制作した風見がある 雑創の森学園 そよかぜ
幼稚園(京田辺市)
※風をテーマに建築された風車と風見がまわる学園施設は、昭和54年’79年の「吉田
五十八賞」を頂きました。
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能楽・観世座発祥の碑
観世座発祥の碑
松井山手駅から 南西に1km。 田辺市役所方面から松井山手駅方面 に抜ける“山手幹
線”の南側に 消防署(田辺市消防署北部出張所)があるが、その裏(南) 側の道が 虚空
蔵谷川を越える付近に,30cmほどの距離で向かい合っている2つの 石碑がある。
一つは「観世座発祥の碑」と書かれた新しい碑、もう一つは「山神」という 古い石碑。
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松井山手駅(解散)
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