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12月10日の健康ささゆりウオーク 片岡城跡-1 

12月14日        12月10日の健康ささゆりウオーク 片岡城跡-1
                落ち葉の感触を楽しみ、片岡城跡に立つ
此の日は、健康上牧21事業ささゆりウオーク、片岡城跡に立つに参加 歩程約5.5㎞
健康上牧21事業スタッフ15人、参加者40人の合計55人で”町内の史跡 片岡城跡”へ。
コース    歩程約5.5km
2000年会館前(受付・スタート)~中央公民館~滝川遊歩道~まきのは郵便局~下牧
~上牧大橋~瓔珞山(ようらくやま)・片岡城跡~下牧金冨間峠道・伊邪那岐神社・即
得寺~三輪街道~下牧~まきのは郵便局~滝川遊歩道~2000年会館(ゴール)
2000年会館へ向かう
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※神の牧温泉
神の牧温泉は少し塩辛い味がするナトリウムー塩化物温泉でさらに、溶けている成分
が人体への浸透圧が高い高張泉で、湯治に適していま す。
泉質は、ナトリウムー塩化物温泉
適応症は
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・間接のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器
病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱
児童・慢性婦人病
現在、スーパー銭湯形式で大野天風呂が魅力の「虹の湯」が営業しています。

2000年会館前(受付・スタート)
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ラジオ体操をして
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中央公民館前
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滝川遊歩道
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まきのは郵便局
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下牧~上牧大橋~瓔珞山
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瓔珞山(ようらくやま)へ
・・・今回は此処から登らず、もう一つ下の旧セメント工場?から
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※瓔珞(ようらく)
瓔珞(ようらく)とは、装身具または仏堂・仏壇の荘厳具のひとつ。古くはインドの貴族
の装身具として用いられていたものが、仏教に取り入れられたもので、菩薩以下の仏
像に首飾り、胸飾りとしてもちいられている。

此処から瓔珞山へ入る
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瓔珞山・片岡城跡へ向かう
登り始めると王寺霊園や其の向うの信貴山が見えるi
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此処は民間の土地で
普段は入れない場所だそうです
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ツリーハウス?等の在る
この場所で片岡城についての説明が・・・
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片岡城跡へ向かいます
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此の続きは、
12月10日の健康ささゆりウオーク 片岡城跡-2 として
          下記のメインブログへ詳細を投稿します。 
        http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
此の続きは、片岡城跡~
片岡城跡です、此処でも説明を聞きます。
此処へは此れから下るルートで何時でも来れます
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片岡城跡・・・中世の山城「片岡城」
片岡城を築いたのは片岡国春。上牧町内の下牧地区から金富地区へ抜ける峠道
の頂部分に中世の山城と伝えられる片岡城跡があります。片岡城は1550年頃に
片岡国春によって築かれたとされています。
下牧に片岡城を築く前は、隣町の王寺町と香芝市の境界あたりにある小高い山
送迎(ひるめ)山の標高262メートルのところにありました。この頃の葛城地方は片
岡氏に続いて南のほうへ順に岡・万歳・布施・倶志羅・楢原・吐田の六人が勢力を
伸ばし、倶志羅氏以外の五氏はいずれも山城を築いており、片岡国春の送迎山城
も地理的に良く似たところにあります。
片岡国春が上牧町内に新たに築いた片岡城は高さ80メートルの丘城で、他の山城
とは地形的に異なり、要害性には劣りますが、片岡谷を見下ろす位置にあり、政治
・経済の中枢としての機能は送迎山城より優れていたと考えられます。
片岡城は葛下川を望む上牧第二中学校から葛下川と滝川との合流点へ続く丘陵地
帯に築かれた山城です。
城の西すそを流れる葛下川から見ますと48メートルの高さの位置にありますが、急
な崖で迫り、当時、すそを覆うように流れていた葛下川がたびたび氾濫を繰り返し、
あたり一面は湿地帯になっていました。また、城の東側にも滝川が流れそれが城の
北側で葛下川と合流、三方を自然の水濠で囲まれた、この近辺では屈指の要害に
適した地形になっていました。
片岡氏から松永久秀に変わって・・・松永時代に完成した片岡城
別々に機能していた曲輪(1)・(2)と曲輪(3)・(4)を共通に防御できるようになり、
このときに片岡城が完成したと考えられます。この年代は永禄12年から天正5年
の8年間と限定できます。

※細川忠興15歳、その弟の頓五郎(細川興元)14歳
天正5年(1577)の、松永久秀による信長への反乱に従い、松永久秀の与力である
海老名某も、河内国片岡城に立て籠もった。これに対し信長は、長岡(細川)藤孝父
子、惟任(明智)光秀、筒井順慶に「3人で押し寄せ、蹴散らせ」と命じた。
これにより十月朔日未明に、この3名による片岡城攻めが始まった。
ここで、長岡藤孝の嫡男與一郎(細川忠興)15歳、その弟の頓五郎(細川興元)14歳、
この兄弟が真っ先に駆け入った。
織田勢は新手を入れ代わり立ち代わりに攻め立てさせたため、死傷者多く出て残り少
なくなると、「今や叶わじ」と思ったか、城主の海老名は腹を十文字に掻っ切って伏せ、
残る兵たちも、みな思い思いに自害して、同じ枕に臥した。
細川忠興・興元兄弟は、この戦いでの働きにより信長から直筆の感状をもらっている。

※片岡城笹ゆり姫物語があります
初夏の風が貴船(きふね)の社の木立を通り抜け竹林をそよがせている。楽士の
奏でる音色に合わせて一人神楽を舞う幼い巫女は、ササユリを両手にかざし得も
言われぬ愛らしさを辺りに漂わせていた。 「あの子は誰だろう」
景頼が、その姫を初めて心に留めたのは、まばゆい光が射し込む御祭礼の日で
あった。
永禄七年、木辻城の嫡男、景頼は数えて十一歳。片岡城の一人娘佐葦姫はまだ
十歳であった。それから五年、歳月は幼い二人を美しい姫と逞しい若者へと変え
ていった。
・・・・・・・・・・・・・・・1章~6章迄あり、途中の話を割愛して
「景頼さま」と、駆け寄る。 「今、確かに景頼さまが・・・これは」そこには白いササ
ユリの中に、一際美しく淡く紅を染めた一輪のササユリが咲いていた。
「これは狭井川の辺に咲くという幻の紅いササユリでは・・・景頼さまがこれを」
「景頼さま,小百合ですよ。佐葦はもう泣きません。この上の牧で強く生きて行き
ます。どうぞこの城山から私達を見守っていてください」
瓔珞山の大王杉から一部始終を見守っていた白い梟は、やがて金色に染まった
黄昏の空いっぱいに羽を広げると、飯盛山の彼方へと消えていった。

下牧金冨間峠道へ下る
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空堀跡を目の前にして説明を聞く
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お地蔵さんの前
此処を真っ直ぐ行くと即得寺
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此処を真っ直ぐ行くと
伊邪那岐神社への道
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※伊邪那岐神社
下牧と金富との間に横たわる山の頂にあり、祭神は伊邪那岐命です。
主神の伊邪那岐命を中央にして、相殿とし春日、八幡、住吉、稲荷の神をまつって
います。もと指定村社で、町内の神社では格式が高いとも言われていました。神殿
は流れ造りで明治12年(1879)の造営で昭和43年(1968)に改築されています。
もと東田口の忍山(しのんやま)にありましたが疫病が流行したので静寂の聖地を
もとめて現在の地に移したといわれています。
旧地は現在住宅化している丘陵の中央で頂上が平地になっていました。そのころ
は五社神社と言われていたようです。
また足利の末期に片岡国春がここに片岡城を築いたときに春日、八幡の両神を守
護神としてまつったという言い伝えもあります。
『延書式巻九』の神名帳には、「葛下郡伊邪奈岐神社」と書かれている神社がこれ
ではないかといわれています。

※松永久秀
松永久秀が謀反を起こし多聞山城で自爆した際に、息子の松永久通もこのときに
自害している。さらに久通の息子二人は織田信長の人質にでていたので、処刑さ
れてしまった。しかし、松永久秀の子孫は絶えず、久通の子の一人は博多に逃れ
て豪商となり、その子孫から陸軍中将の松永貞市やバンダイ社外取締役松永真
理が出ている。
また、爆笑問題の太田光の妻で太田プロ社長、太田光代(旧姓・松永)も系統不明
ながら松永久秀の子孫だという。・・・達磨寺のお墓に墓参りに来ると言う・・・・

我々は真ん中の細い道を下る
此処は三輪街道だ・・・
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下牧へ降りて来た
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まきのは郵便局~滝川遊歩道
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中央k公民館
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2000年会館(ゴール)

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