2月17日の酒蔵みてある記 長龍酒造「長龍」-1
2月21日 2月17日の酒蔵みてある記 長龍酒造「長龍」-1
近鉄駅フリーハイキング 歩程約7㎞
知人と2人で参加、午前中はポカポカ陽気だったが午後は冷たい風が吹き酒蔵から駅
へ向かう頃には雨粒が顔にも?馬見丘陵公園の北エリアでTV撮影、ナイナイの”お見
合い大作戦”のリハーサル?が行われていて寒そうだったが此れに少々お付き合い・・
テレビ放映は4月頃に?
コース 近鉄ハイキング 五位堂駅北口ロータリー受付10時~11時
五位堂駅(受付)~かつらぎの道・横峰近隣公園~牧野(ばくや)古墳~竹取公園~馬
見陵公園(ナガレ山古墳)~北エリア・ナイナイの”お見合い大作戦”の撮影~長龍酒造
(無料試飲&振舞い酒・抽選会)解散~箸尾駅 →王寺駅で知人と別れて・・・
参加者は、1400人超、此の日の私の万歩計は、18130歩で約13.4km歩いたことに・・・
志都美駅
香芝駅~近鉄下田駅へ乗り換え
加島神社
香芝の地名は当社の「カシマ」に由来するともいわれています。 『もりのみやさん』
『おうぎのみやさん』とも呼び親しまれ、 往古からこの地の守り神《鎮守の杜》として、
広く皆様から大切にされています。
創建は第80代高倉天皇の承安2年(1172年)3月に、源義朝の家臣であった鎌田
政清の子・鎌田小次(二)郎政光が常陸国(現、茨城県)鹿島神宮の御分霊を勧請し
たのが始まりとされます。
当社に伝わる古文書(鹿嶋文書※)によると、平治元(1159)年、平治の乱にあって
源義朝が平清盛に敗れ、東国へ敗走中に義朝の第一の家臣であった鎌田兵衛藤原
政清の舅 尾張国(現、愛知県)半田郡野間の長田庄司忠致に匿われました。 しかし、
忠致は恩賞目当てに義朝を浴場で暗殺、政清も忠致の子景致に殺害され、随行家来
の大半は討死致しました。鎌田政清の子・政光はかろうじて難を逃れ、常陸国 鹿嶋神
宮に辿り着いたとされています。 そこで、源氏の再興を祈願し、百日の参籠を行い、昼
夜一心に法華経を誦唱しました。 満願の夜、夢に一老翁が現れ「庚子(の年)源氏栄
え、汝の福 西にあり」との御神託があり、御分霊の御幣を奉じ西方へと向いました。大
和の下田の里で夕暮れとなり、土手(田のほとりとするものもある)の松の木の下で野
宿し、翌朝この地の景色が極めて鹿嶋に似ていた為、懐かしく思いここに小祠を建て
鹿嶋大明神を祀ったといわれます。
下田駅~五位堂駅
五位堂駅前で受付
かつらぎの道~牧野(ばくや)古墳
牧野古墳(ばくやこふん)は、奈良県北葛城郡広陵町に所在する古墳時代後期の
円墳である。1957年に国の史跡に指定されている。
本古墳は、奈良盆地の西側に拡がる馬見丘陵の尾根先端部に位置し、馬見古墳群の
中央群に属する。築造は石室や石棺、出土遺物から6世紀末と見られている。この頃か
ら7世紀初頭にかけて、列島各地で大王墓や首長墓として造り続けられてきた前方後円
墳が築造されなくなる。代わって採用されたのは方墳や円墳でる。このことは前方後円墳
祭祀が終焉を迎えたことを示しており、古墳の形態で力を誇示する時代[ではなくなった。
埋葬施設は墳丘の中ほどに造られており、南面に開口した両袖式の全長17.1mの横穴
式石室である。この石室は巨石を積んでおり、明日香村の石舞台古墳に次ぐ規模である。
本古墳は、この時期では墳丘規模が最大級であることから、被葬者は大王に近い支配
者層の墓と考えられ、敏達天皇の皇子押坂彦人大兄皇子であると推定されている。
この古墳公園の駐車場の横には、ちかくの文代山古墳より発掘された長持型
石棺の底部分が、展示されていますというか置かれています
※文代山古墳 (ぶんじろやま) 古墳
猪形埴輪出土で知られる馬見丘陵中央群で唯一の独立方墳です。
:この古墳から出土したと伝えられる長持式石棺の底石(竜山石製)が西方にある下水
の吐水口に転用されていたが現在、牧野古墳公園に移設されており見ることが出来る。
竹取公園
かぐや姫伝説の地
馬見丘陵公園
蝋梅が咲いていたが河津桜は未だ咲いていない
馬見丘陵公園 梅林
数本の梅が咲いていてカメラマンが・・・
此の続きは、
2月17日の酒蔵みてある記 長龍酒造「長龍」-2 として
下記のメインブログへ詳細を投稿します。
http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、馬見丘陵公園 上池~
上池
陽だまり広場へ
下池
馬見丘陵公園 北エリア
ナイナイの”お見合い大作戦”撮影中・・・奈良県川合町 男性17名
馬見丘陵公園
長龍酒造へ
高田川を渡り長龍酒造へ
もう帰りの人もいる
お見合い大作戦のロケを見に行くのか?
長龍酒造へ長蛇の列
昇道無窮極(しょうどうむきゅうきょく)この言葉を胸に日々精進しています。
社名 長龍酒造株式会社 代表取締役社長 飯田豊彦
創業 1923年(大正12年)
1923年 飯田弟一、生家の飯田酒造場(1868年創業 現在の奈良県天理市㈱飯田
本店)より独立し、八尾に酒の小売店開業。間口二間の店に店員一人、生家の清酒
「長龍」120本を元手とする。
1941年 戦時体制により酒類販売を中断。飯田木工株式会社設立。 樽・木製ドラム・
バケツ等の製造販売を行う。
1963年 長龍酒造株式会社設立。八尾工場を竣工して共同びん詰場の免許を取得、
原酒の貯蔵と「長龍」のびん詰作業を始める。
1964年 画期的新商品、樽酒のびん詰「吉野杉の樽酒」の開発に成功。 「吉野杉の
樽酒」の販路を全国に拡げる。1968年 「慶雲長龍」発売
1971年 長龍酒造株式会社第二貯蔵庫竣工。炎暑の夏も高品質を保つ完璧な温度
管理を実現。 1979年 広陵酒造株式会社 設立 広陵蔵で醸造開始
甘酒~試飲~販売所
箸尾駅へ
箸尾駅~新王寺駅、王寺駅で知人と別れて
近鉄駅フリーハイキング 歩程約7㎞
知人と2人で参加、午前中はポカポカ陽気だったが午後は冷たい風が吹き酒蔵から駅
へ向かう頃には雨粒が顔にも?馬見丘陵公園の北エリアでTV撮影、ナイナイの”お見
合い大作戦”のリハーサル?が行われていて寒そうだったが此れに少々お付き合い・・
テレビ放映は4月頃に?
コース 近鉄ハイキング 五位堂駅北口ロータリー受付10時~11時
五位堂駅(受付)~かつらぎの道・横峰近隣公園~牧野(ばくや)古墳~竹取公園~馬
見陵公園(ナガレ山古墳)~北エリア・ナイナイの”お見合い大作戦”の撮影~長龍酒造
(無料試飲&振舞い酒・抽選会)解散~箸尾駅 →王寺駅で知人と別れて・・・
参加者は、1400人超、此の日の私の万歩計は、18130歩で約13.4km歩いたことに・・・
志都美駅
香芝駅~近鉄下田駅へ乗り換え
加島神社
香芝の地名は当社の「カシマ」に由来するともいわれています。 『もりのみやさん』
『おうぎのみやさん』とも呼び親しまれ、 往古からこの地の守り神《鎮守の杜》として、
広く皆様から大切にされています。
創建は第80代高倉天皇の承安2年(1172年)3月に、源義朝の家臣であった鎌田
政清の子・鎌田小次(二)郎政光が常陸国(現、茨城県)鹿島神宮の御分霊を勧請し
たのが始まりとされます。
当社に伝わる古文書(鹿嶋文書※)によると、平治元(1159)年、平治の乱にあって
源義朝が平清盛に敗れ、東国へ敗走中に義朝の第一の家臣であった鎌田兵衛藤原
政清の舅 尾張国(現、愛知県)半田郡野間の長田庄司忠致に匿われました。 しかし、
忠致は恩賞目当てに義朝を浴場で暗殺、政清も忠致の子景致に殺害され、随行家来
の大半は討死致しました。鎌田政清の子・政光はかろうじて難を逃れ、常陸国 鹿嶋神
宮に辿り着いたとされています。 そこで、源氏の再興を祈願し、百日の参籠を行い、昼
夜一心に法華経を誦唱しました。 満願の夜、夢に一老翁が現れ「庚子(の年)源氏栄
え、汝の福 西にあり」との御神託があり、御分霊の御幣を奉じ西方へと向いました。大
和の下田の里で夕暮れとなり、土手(田のほとりとするものもある)の松の木の下で野
宿し、翌朝この地の景色が極めて鹿嶋に似ていた為、懐かしく思いここに小祠を建て
鹿嶋大明神を祀ったといわれます。
下田駅~五位堂駅
五位堂駅前で受付
かつらぎの道~牧野(ばくや)古墳
牧野古墳(ばくやこふん)は、奈良県北葛城郡広陵町に所在する古墳時代後期の
円墳である。1957年に国の史跡に指定されている。
本古墳は、奈良盆地の西側に拡がる馬見丘陵の尾根先端部に位置し、馬見古墳群の
中央群に属する。築造は石室や石棺、出土遺物から6世紀末と見られている。この頃か
ら7世紀初頭にかけて、列島各地で大王墓や首長墓として造り続けられてきた前方後円
墳が築造されなくなる。代わって採用されたのは方墳や円墳でる。このことは前方後円墳
祭祀が終焉を迎えたことを示しており、古墳の形態で力を誇示する時代[ではなくなった。
埋葬施設は墳丘の中ほどに造られており、南面に開口した両袖式の全長17.1mの横穴
式石室である。この石室は巨石を積んでおり、明日香村の石舞台古墳に次ぐ規模である。
本古墳は、この時期では墳丘規模が最大級であることから、被葬者は大王に近い支配
者層の墓と考えられ、敏達天皇の皇子押坂彦人大兄皇子であると推定されている。
この古墳公園の駐車場の横には、ちかくの文代山古墳より発掘された長持型
石棺の底部分が、展示されていますというか置かれています
※文代山古墳 (ぶんじろやま) 古墳
猪形埴輪出土で知られる馬見丘陵中央群で唯一の独立方墳です。
:この古墳から出土したと伝えられる長持式石棺の底石(竜山石製)が西方にある下水
の吐水口に転用されていたが現在、牧野古墳公園に移設されており見ることが出来る。
竹取公園
かぐや姫伝説の地
馬見丘陵公園
蝋梅が咲いていたが河津桜は未だ咲いていない
馬見丘陵公園 梅林
数本の梅が咲いていてカメラマンが・・・
此の続きは、
2月17日の酒蔵みてある記 長龍酒造「長龍」-2 として
下記のメインブログへ詳細を投稿します。
http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、馬見丘陵公園 上池~
上池
陽だまり広場へ
下池
馬見丘陵公園 北エリア
ナイナイの”お見合い大作戦”撮影中・・・奈良県川合町 男性17名
馬見丘陵公園
長龍酒造へ
高田川を渡り長龍酒造へ
もう帰りの人もいる
お見合い大作戦のロケを見に行くのか?
長龍酒造へ長蛇の列
昇道無窮極(しょうどうむきゅうきょく)この言葉を胸に日々精進しています。
社名 長龍酒造株式会社 代表取締役社長 飯田豊彦
創業 1923年(大正12年)
1923年 飯田弟一、生家の飯田酒造場(1868年創業 現在の奈良県天理市㈱飯田
本店)より独立し、八尾に酒の小売店開業。間口二間の店に店員一人、生家の清酒
「長龍」120本を元手とする。
1941年 戦時体制により酒類販売を中断。飯田木工株式会社設立。 樽・木製ドラム・
バケツ等の製造販売を行う。
1963年 長龍酒造株式会社設立。八尾工場を竣工して共同びん詰場の免許を取得、
原酒の貯蔵と「長龍」のびん詰作業を始める。
1964年 画期的新商品、樽酒のびん詰「吉野杉の樽酒」の開発に成功。 「吉野杉の
樽酒」の販路を全国に拡げる。1968年 「慶雲長龍」発売
1971年 長龍酒造株式会社第二貯蔵庫竣工。炎暑の夏も高品質を保つ完璧な温度
管理を実現。 1979年 広陵酒造株式会社 設立 広陵蔵で醸造開始
甘酒~試飲~販売所
箸尾駅へ
箸尾駅~新王寺駅、王寺駅で知人と別れて