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3月11日の酒蔵みてある記 大倉本家「大倉」-1

3月23日       3月11日の酒蔵みてある記 大倉本家「大倉」-1
                 近鉄駅フリーハイキング 歩程約8㎞
此の日は、知人と4名で参加、K場さん、M村さん、O村さんと田原で歩いた・・・・
近鉄駅フリーハイキング 大和高田駅 2F改札口受付10時半~11時
大和高田駅 2F改札口(受付)~有井環濠集落~顕宗天皇御陵磐園陵参考地
~児童公園~大谷自然公園(昼食)~大倉本家(試飲・粕汁ふるまい)~M村さん、
O村さんの2名葉当麻寺駅へ、K場さんと私は五位堂駅へ帰った、参加者1067人
此の日の私の万歩計は、18856歩で約13.9km歩いたことに
志都美駅
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大和高田駅(受付・スタート)
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有井環濠集落へ向かう
左手に二上山
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有井環濠集落
※有井環濠は、有井城とも呼ばれた当麻氏の居館を中心にした環だ。 当麻氏の居
館であった正行寺境内は、現在でも四方を堀が囲繞していて中世豪族の居館そのも
のの雰囲気が残っている。
磐園小学校西側に「弘法の井戸」があり、この脇に有井環濠の案内板が立てられい
るが、それによれば有井環濠は輪郭式に外濠がある縄張りで、この案内板から西側
の住宅地一帯が環濠集落で、集落の北側に外濠の一部が残存している。
有井環濠は、文明年間に当麻為綱が居館を本願寺蓮如に寄進して正行寺を建立し、
この寺を中心として周囲に環濠集落が形成されてた。
当麻氏は大和朝廷時代から続く一族で、国民(春日大社神徒)として大和中世武士と
して名が史料に出てくる高田城主高田(当麻)氏が嫡流家で、有井当麻氏は分家筋。
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現在の正行寺
正行寺(しょうぎょうじ)は文明2年當麻四朗為網が(1470年)本願寺八代蓮如上人に帰依
して出来た寺で大和高田では最初の真宗寺院です。500年以上に渡って現在の地で教
化活動を続けています。 境内地は2千坪を有し、ゆったりとした佇まいのお寺です。

正行寺 (有井)真宗大谷派。 本尊は阿弥陀如来である。
大和志によると有井村にあって蓮如上八の真影があり、明応二年九月蓮如が讃して円
浄に与えたとあり、亦寺記によれば、文明年中当麻四朗為網が古城地をもって、蓮如上
人に帰依して建てられたのが正行寺であるといわれているから、その創建は明かである
が、亦一方寺伝によると、当麻四朗為網は文明年中の人であるともいわれている。
有井山と号し、真宗大谷派。開基、円浄。本尊、阿弥陀如来。本堂・庫裡・客殿・表問あり。
享保年中(一七一六-三六)並河永らが編さんした『大和志』には、蓮如真影に実如が讃を
したものを、明応二年(一四九三)九月一九日に写し、和州葛下郡平田有井芭円浄(当麻
四朗為網)に与えたとあり、また寺記に、文明年中(一四六九-八七)当麻四朗為網が古
城地をもって蓮如に施与し、正行寺を造立したとある。宗祖親鸞聖人の墓所である「大谷
廟堂」を発祥とする「本願寺」(「東本願寺」)を本山とする。
包括関係にある末寺数は9000か寺を数える。信者数約694万人は浄土真宗(真宗)の
各宗派中最大であり、また、仏教系の宗教法人の中でも最大数を誇っている。
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顕宗天皇御陵磐園陵参考地~児童公園
築山古墳(つきやまこふん)
築山古墳は、実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「磐園陵墓参考地」(被葬
候補者:第23代顕宗天皇)として陵墓参考地に治定されている。
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隣接する
児童公園に登り
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大谷自然公園(昼食)
大谷山自然公園(おおたにやましぜんこうえん)
公園のすぐ南東に位置する築山古墳を盟主墓とした馬見古墳群の南群に属する古墳
密集地帯。付近の住宅地内にも、大小多くの古墳が残存し、園内にも確認出来るだけ
で2基の古墳が保存されている。
文禄2年(1593年)、豊臣秀吉の命により、一旦引退させられた真宗大谷派の祖である
教如上人が、大谷山に遊山に訪れ、親鸞上人ゆかりの大谷と同名であったことから、
非常に喜び、当時山上にあったという真願寺を大きくして、西方の大谷村中に移した。
後にこの寺は大和国を管轄する大和大谷別院となった。
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此の続きは、
3月11日の酒蔵みてある記 大倉本家「大倉」-2 として
           下記のメインブログへ詳細を投稿します。
         http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、大谷自然公園~八幡宮
大和高田市
八幡宮
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香芝市
出屋敷公園
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長池
羊の親子
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大倉本家(利き酒 有料)
明治29年(1896年) 大倉勝治商店として創業。
以来、吟醸酒には「速醸酒母」も用いますが、それ以外は普通酒に至るまで、すべて
山廃酒母で仕込んでいます。昭和7年頃より 奈良県神社庁の委託を受け、「御神酒」
造りが始まりました。3代目勝彦のときに 特定名称酒醸造を開始しました。
地元で強い地盤を持たさせていただけ、最盛期は年間6000石近い販売量がありまし
た。この間 全国新酒品評会で金賞をいただいたこと数回。しかし、諸々の事情で平成
12年秋の濁酒の仕込みを最後に、休造を決断します。
平成15年度原料米申し込み期限の前日でした。11月中旬、長年「金鼓」で指揮をとっ
て下さっていた杜氏の皆さんが蔵入り。3年ぶりに酒造りを再開させて頂くことになり
ました。
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五位堂駅
此処にも酒蔵の看板が?
澤田酒造・・・革新によって伝統を守る
私たちの創業は、天保元年(1830年)、本社のある奈良県(大和の国)五位堂の地に
おいて、先達が商いをはじめたことにあります。それから間もなく、酒造りという日本古
来からの伝統の業種を選び、昭和に入ってからは酵素の製造も行ない「醗酵と醸造」
という製造理念のもとで商いが続いてまいりました。
その間、岩間の中をせせらぎが流れるように、絶えることなく、とどまることなく、商いが
流れ続けてまいりました。そこには、先達たちの努力があることもさることながら、お客
様の絶大な支持があったからであると私たちは心から感謝いたしております。
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五位堂駅
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まほろばコーヒ
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我家の沈丁花
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