4月7日の榛原駅~目指せ!又兵衛桜!-1
4月15日 4月7日の榛原駅~目指せ!又兵衛桜!-1
近鉄駅フリーハイキング 歩程約13㎞
此の日は知人と2名で参加、前日の風雨で桜が散ったのでは?と心配したが桜は
未だ残っていた、しかし冬に逆戻りした様な非常に寒い中のスタート、曇り空で寒
かったが、昼からは陽も差してきて少し暖かくなり過ごし易い天気になって・・・
此の日の私の万歩計は、28723歩で約21.2km歩いたことに・・・
コース 近鉄駅フリーハイキング 榛原駅 南出口階段下 受付9時半~11時
榛原駅(受付)~宇陀川沿いを歩く~うだ・アニマルパーク(昼食)~宇陀松山地区
・慶恩寺・秋山城跡・春日神社~阿紀神社~又兵衛桜~人麻呂公園~大願寺~
道の駅宇陀路 大宇陀バス停 ⇒ 奈良交通バス ⇒ 榛原駅
榛原駅(受付)
宇陀川桜並木を歩く
篠楽河川公園
猟路の桜(かりじのさくら)
飛鳥藤原京の古、宮廷遊猟の地であった宇陀の山野。古典的に由緒あるこの地
を後世に伝えんと記念の桜を植樹し、「猟路の桜」と名づけられたいうのが所以の
桜並木。榛原の花火大会も行われるこの地に、こんな桜があろうとは。すらばらし
いお花見ポイントでした。
平尾水分神社の朱い鳥居
宇陀には、このほか宇太水分神社(下社) 宇太水分神社(中社) 惣社宇太水分
神社(上社)とあります
うだ・アニマルパークへ向かう
うだ・アニマルパーク(昼食休憩)
宇陀市大宇陀の県畜産技術センターでは60年以上にわたり、牛・豚・鶏などの試験
研究を行い、様々な成果を上げてきておりますが、平成13年4月に大家畜(牛)部門
が宇陀郡御杖村の「みつえ高原牧場」に移転したことによる敷地の有効活用として、
動物とのふれあいを通して次代を担う子どもたちの健全な育成を目指すとともに、県
内外のみなさんにレクリェーションの場を提供し、社会全体の発展に寄与することを
目指し、うだ・アニマルパークを設置することにしました。
うだ・アニマルパークは、人と動物とのふれあいを通して、動物を学び、動物から学び、
そして動物のために学ぶ「いのちの教育」を行い、広く県民に動物全般に対する理解
を促進するとともに動物に対する愛護の思想について、普及啓発を図り豊かな社会
づくりに寄与することを目的とした施設です。
宇陀松山地区
宇陀松山、聞き慣れない地名かもしれませんが、古くから城下町として発展し、その
町並みが今も生活の場としながらも景観を保ったまま残っている地区です。
2006年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
・慶恩寺
松谷山菩提院慶恩寺。開山は持統天皇九年に吾城行宮を賜って堂宇としたことに
始まる。その後文治2年に奈良の大仏殿再興にあたり、伽藍指図5分の1の試みと
して建立された。鐘楼には無銘であるが古い梵鐘が懸かる。
宇陀簡易裁判所の桜
・松山西口関門(黒門)
福島掃部孝治が城下町への出入口として今から400年前に建築したもので、昭和
6年に国の史跡に指定された。宇陀川から春日社にぬける道に位置し、付近には
枡形がある。町の人には「黒門」と呼ばれ親しまれている。
・恵比寿神社
愛宕神社、恵毘須神社、愛宕寺の神仏混合社。愛宕神社は、城下町の火災防止の
ため、松山城主織田長頼が勧請奉祀させたといわれる。恵毘寿神社は町内の茶町
から移され、江戸以来毎年2月8日には初えびすが行われる。
・秋山城跡・春日神社
秋山城跡のみで城址へは登らなかったが
宇陀松山城は、南北朝時代から宇陀に勢力をもつ秋山氏の本城であったが、天正
13年に豊臣家大名の居城となり、城下町が整備された。最後の城主福島氏が元
和元年に改易され、平成7年からは発掘調査が行われている。平成18年、国史跡
に指定された。
春日神社
祭神、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比び大神。本殿、拝殿、神饌所、門、社務
所の施設が整い、石造灯籠新古を交え35基を奉建している。当社の旧祠宮と伝え
る佐々岡家には祭礼記など数通の古文書を蔵している。
伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)
春日神社の双幹の大杉は伊太祁曽神社のご神木になっています。
銘菓「きみごろも」本舗 松月堂(しょうげつどう)
阿紀神社へ向う
阿紀神社(あきじんじゃ)
阿紀神社は奈良県宇陀市大宇陀迫間(おおうだはさま)に鎮座する神社。旧社格
は県社、延喜式内社。旧称は阿貴宮および神戸大神宮、通称は神戸明神。
神代に神楽岡に創建され、崇神天皇の勅によって神戸大神宮の号を賜わる。安土
桃山時代(天正年間)に本郷川西岸の現在地に遷座されたときに、現在の社名へと
改められた。江戸時代前期に能舞台が建設され、能が上演されるようになる。
1902年(明治35年)に郷社から昇格して県社に列格した。
此の続きは、
4月7日の榛原駅~目指せ!又兵衛桜!-2 として
下記のメインブログへ詳細を投稿します。
http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、又兵衛桜へ向かう~
又兵衛桜へ向かう
又兵衛桜
樹齢300年とも言われる枝垂れ桜。この地に伝わる後藤又兵衛の伝説と、この
桜が後藤家の屋敷跡にあることから「又兵衛桜」と呼ばれ親しまれています。
大阪夏の陣で活躍した戦国武将後藤又兵衛が当地へ落ち延び、僧侶となって一
生を終えたという伝説が残り、この垂れ桜が残る地も、後藤家の屋敷跡とされる。
阿騎野人麻呂公園
「阿騎野人麻呂公園」は古代の狩場であった「阿騎野」の中心施設がおかれていた
場所で、平成7年の発掘調査の後、現在は遺跡公園として保存されている。公園内
には柿本人麻呂像や、復原された掘立柱建物などがある。
大願寺
大宇陀は、古くは阿騎野と呼ばれ、推古19年(611年)に宮廷の薬狩りの記述が日本
書記にあります。万葉集の中でも秀歌とされる「東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ
見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」は柿本人麻呂がこの地を訪れて詠んだもので
す。江戸時代には織田松山藩が治め商家町として栄え、薬草の里らしく多くの薬問
屋がありました。現在も風情のある町並が残る宇陀松山地区は国の重要伝統的建
造物群保存地区に指定されています。江戸中期より続く「森野旧薬園」や薬問屋の
旧居を資料館にした「薬の館」などを見学することが出来ます。
織田家の祈願所の歴史を持つ大願寺では、薬草や宇陀の名産である吉野葛を使っ
た精進料理を提供しております。
道の駅 宇陀路
近鉄駅フリーハイキング 歩程約13㎞
此の日は知人と2名で参加、前日の風雨で桜が散ったのでは?と心配したが桜は
未だ残っていた、しかし冬に逆戻りした様な非常に寒い中のスタート、曇り空で寒
かったが、昼からは陽も差してきて少し暖かくなり過ごし易い天気になって・・・
此の日の私の万歩計は、28723歩で約21.2km歩いたことに・・・
コース 近鉄駅フリーハイキング 榛原駅 南出口階段下 受付9時半~11時
榛原駅(受付)~宇陀川沿いを歩く~うだ・アニマルパーク(昼食)~宇陀松山地区
・慶恩寺・秋山城跡・春日神社~阿紀神社~又兵衛桜~人麻呂公園~大願寺~
道の駅宇陀路 大宇陀バス停 ⇒ 奈良交通バス ⇒ 榛原駅
榛原駅(受付)
宇陀川桜並木を歩く
篠楽河川公園
猟路の桜(かりじのさくら)
飛鳥藤原京の古、宮廷遊猟の地であった宇陀の山野。古典的に由緒あるこの地
を後世に伝えんと記念の桜を植樹し、「猟路の桜」と名づけられたいうのが所以の
桜並木。榛原の花火大会も行われるこの地に、こんな桜があろうとは。すらばらし
いお花見ポイントでした。
平尾水分神社の朱い鳥居
宇陀には、このほか宇太水分神社(下社) 宇太水分神社(中社) 惣社宇太水分
神社(上社)とあります
うだ・アニマルパークへ向かう
うだ・アニマルパーク(昼食休憩)
宇陀市大宇陀の県畜産技術センターでは60年以上にわたり、牛・豚・鶏などの試験
研究を行い、様々な成果を上げてきておりますが、平成13年4月に大家畜(牛)部門
が宇陀郡御杖村の「みつえ高原牧場」に移転したことによる敷地の有効活用として、
動物とのふれあいを通して次代を担う子どもたちの健全な育成を目指すとともに、県
内外のみなさんにレクリェーションの場を提供し、社会全体の発展に寄与することを
目指し、うだ・アニマルパークを設置することにしました。
うだ・アニマルパークは、人と動物とのふれあいを通して、動物を学び、動物から学び、
そして動物のために学ぶ「いのちの教育」を行い、広く県民に動物全般に対する理解
を促進するとともに動物に対する愛護の思想について、普及啓発を図り豊かな社会
づくりに寄与することを目的とした施設です。
宇陀松山地区
宇陀松山、聞き慣れない地名かもしれませんが、古くから城下町として発展し、その
町並みが今も生活の場としながらも景観を保ったまま残っている地区です。
2006年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
・慶恩寺
松谷山菩提院慶恩寺。開山は持統天皇九年に吾城行宮を賜って堂宇としたことに
始まる。その後文治2年に奈良の大仏殿再興にあたり、伽藍指図5分の1の試みと
して建立された。鐘楼には無銘であるが古い梵鐘が懸かる。
宇陀簡易裁判所の桜
・松山西口関門(黒門)
福島掃部孝治が城下町への出入口として今から400年前に建築したもので、昭和
6年に国の史跡に指定された。宇陀川から春日社にぬける道に位置し、付近には
枡形がある。町の人には「黒門」と呼ばれ親しまれている。
・恵比寿神社
愛宕神社、恵毘須神社、愛宕寺の神仏混合社。愛宕神社は、城下町の火災防止の
ため、松山城主織田長頼が勧請奉祀させたといわれる。恵毘寿神社は町内の茶町
から移され、江戸以来毎年2月8日には初えびすが行われる。
・秋山城跡・春日神社
秋山城跡のみで城址へは登らなかったが
宇陀松山城は、南北朝時代から宇陀に勢力をもつ秋山氏の本城であったが、天正
13年に豊臣家大名の居城となり、城下町が整備された。最後の城主福島氏が元
和元年に改易され、平成7年からは発掘調査が行われている。平成18年、国史跡
に指定された。
春日神社
祭神、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比び大神。本殿、拝殿、神饌所、門、社務
所の施設が整い、石造灯籠新古を交え35基を奉建している。当社の旧祠宮と伝え
る佐々岡家には祭礼記など数通の古文書を蔵している。
伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)
春日神社の双幹の大杉は伊太祁曽神社のご神木になっています。
銘菓「きみごろも」本舗 松月堂(しょうげつどう)
阿紀神社へ向う
阿紀神社(あきじんじゃ)
阿紀神社は奈良県宇陀市大宇陀迫間(おおうだはさま)に鎮座する神社。旧社格
は県社、延喜式内社。旧称は阿貴宮および神戸大神宮、通称は神戸明神。
神代に神楽岡に創建され、崇神天皇の勅によって神戸大神宮の号を賜わる。安土
桃山時代(天正年間)に本郷川西岸の現在地に遷座されたときに、現在の社名へと
改められた。江戸時代前期に能舞台が建設され、能が上演されるようになる。
1902年(明治35年)に郷社から昇格して県社に列格した。
此の続きは、
4月7日の榛原駅~目指せ!又兵衛桜!-2 として
下記のメインブログへ詳細を投稿します。
http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、又兵衛桜へ向かう~
又兵衛桜へ向かう
又兵衛桜
樹齢300年とも言われる枝垂れ桜。この地に伝わる後藤又兵衛の伝説と、この
桜が後藤家の屋敷跡にあることから「又兵衛桜」と呼ばれ親しまれています。
大阪夏の陣で活躍した戦国武将後藤又兵衛が当地へ落ち延び、僧侶となって一
生を終えたという伝説が残り、この垂れ桜が残る地も、後藤家の屋敷跡とされる。
阿騎野人麻呂公園
「阿騎野人麻呂公園」は古代の狩場であった「阿騎野」の中心施設がおかれていた
場所で、平成7年の発掘調査の後、現在は遺跡公園として保存されている。公園内
には柿本人麻呂像や、復原された掘立柱建物などがある。
大願寺
大宇陀は、古くは阿騎野と呼ばれ、推古19年(611年)に宮廷の薬狩りの記述が日本
書記にあります。万葉集の中でも秀歌とされる「東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ
見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」は柿本人麻呂がこの地を訪れて詠んだもので
す。江戸時代には織田松山藩が治め商家町として栄え、薬草の里らしく多くの薬問
屋がありました。現在も風情のある町並が残る宇陀松山地区は国の重要伝統的建
造物群保存地区に指定されています。江戸中期より続く「森野旧薬園」や薬問屋の
旧居を資料館にした「薬の館」などを見学することが出来ます。
織田家の祈願所の歴史を持つ大願寺では、薬草や宇陀の名産である吉野葛を使っ
た精進料理を提供しております。
道の駅 宇陀路