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5月9日のJRハイキング 渡船と低山(昭和山)-1

5月26日      5月9日のJRハイキング 渡船と低山(昭和山)-1
              リーダ-と歩く楽しいウオーキング 10km
此の日は知人と3名でJRハイキングに参加、渡船2ヶ所と大阪低山(昭和山)散策へ、
コース  JRふれあいハイキング 大坂・関西歩け歩け協会主催 歩程約10㎞
芦原橋駅~徒歩3分~浪速玉姫公園(集合10時)~木津川・落合上渡船~千島公園・
昭和山~北村南公園~尻無川・甚兵衛渡船~八幡屋公園~弁天町駅
参加費用 300円・・・此の日の私の万歩計は、21196歩で約15.6km歩いたことに・・・
芦原橋駅~徒歩3分~浪速玉姫公園(集合10時)
浪速玉姫公園・・・太鼓屋又兵衛
「浪速玉姫公園」は太鼓屋又兵衛 屋敷跡です。
「太鼓屋又兵衛」は江戸時代を通じ、太鼓の全国ブランドとして知られていました。「太鼓
屋」の屋号は、1616年に大阪城の「時太鼓」を作った渡辺村の平八が、その功労によっ
て「太鼓屋」の屋号を許されたことに始まると伝えられています。「太鼓屋又兵衛」の名は、
少なくとも17世紀後半には登場します。
1800年前後に活躍した太鼓屋又兵衛は、皮革の商いにも稀な才覚を発揮し、皮革問屋
としての地位を築きました。幕末に活躍した又兵衛は、九州の小倉で生 まれましたが、
1837年に大阪・渡辺村へ養子に入り、1842年に太鼓屋又兵衛を襲名しました。この人
は温厚・実直で商才もあり「太鼓屋又兵衛」の名をさらに広めました。
太鼓屋又兵衛は、1858年には鳥取城の時太鼓をつくり、現在この太鼓は、島根県の美
保神社にあり国の重要文化財に指定されています。
ここは、その太鼓屋又兵衛の屋敷があった場所です。
出典:浪速玉姫公園「太鼓屋又兵衛の説明書き」
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木津川・落合上渡船場へ向かう・・・此処は太鼓ロード?
人権・太鼓ロード 産地・浪速の歴史を発信
人権・太鼓ロードは、浪速支部をはじめ大阪市や浪速区人権啓発推進協議会などでつくる
同計画策定委員会が推進してきたもので、太鼓の産地として300年の歴史をもち、全国有
数の皮革の集散地だった浪速の歴史を正しく伝え、部落の文化に誇りをもって、人権文化
として発信していこうというもの。
場所は、JR芦原橋駅から大阪人権博物館(リバティおおさか)までの新なにわ筋周辺の約
500メートルが対象。モニュメントがある「海の玄関口ゾーン」や「和太鼓のつくり手ゾーン」
など8ゾーンに分けて石碑や案内板などを設け、バス停やベンチなども太鼓をイメージでき
るデザインになっている。
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木津川・落合上渡船
落合上渡船場は、大正区千島1丁目と西成区北津守四丁目を結ぶ(岸壁間100m)。
平成29年度現在、1日平均484人が利用している。
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※大阪市に今藻残る8つの渡船場
1.天保山(てんぽうざん)渡船場  2.甚兵衛(じんべえ)渡船場  3.千歳(ちとせ)
渡船場  4.落合上(おちあいかみ)渡船場 5.落合下(おちあいしも)渡船場
6.千本松(せんぼんまつ)渡船場  7.船町(ふなまち)渡船場  8.木津川(きづ
がわ)渡船場

千島公園・昭和山(33m)
大阪万博を控えて大阪市営地下鉄の路線整備が急速に進んでいたという建設当時の
背景から、地下鉄建設工事で出た残土約170万立方メートルを使用して山が建設され
た。1970年11月30日に記念植樹式がおこなわれ、式典会場でこの山を「昭和山」と命
名することが発表された。昭和山の名称は、昭和年間に建設された山ということに由来
している。また、1974年に公園内にある千島体育館が開設された。
その後山の周囲約11.2ヘクタールを整備し、1976年4月1日に千島公園が開園した。
昭和山は建設当時、大阪市では最も標高が高い場所となっていた。その後鶴見緑地内
に鶴見新山が建設されたことで、大阪市内最高峰は鶴見新山(当初47m、現在39m)
に譲り、昭和山は大阪市で2番目に標高が高い場所となっている。
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此の続きは、
5月9日のJRハイキング 渡船と最低山(昭和山)-2 として
              下記のメインブログへ詳細を投します。
http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、北村南公園(昼食)~
北村南公園(昼食)
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泉尾浜公園で時間調整?
尻無川・甚兵衛渡船
甚兵衛によって設けられた渡しにある茶店は「蛤小屋」と呼ばれて名物の蜆、蛤を賞味する
人が絶えなかったという。
現在も甚兵衛渡船場は健在で、大正区泉尾七丁目と港区福崎一丁目を結び(岸壁間94m)、
朝のラッシュ時は2隻の船が運航している。平成29年度現在1日平均約1,189人が利用して
いる。
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三先天満宮
天保初年(1830年)葦屋勇助なる人物がこの土地の開発を試みます。しかし度重なる水
害に遭い、功半ばにして池田屋大吉なる人にその開発を譲ります。池田屋大吉は開発に
先立ち天保6年(1835年)、成功を祈願して大神様を勧請しお祀りします。
開発は無事成功し、開発された土地は「池田新田」と称されるようになりました。この成功
を以て神域を整え(現在の港南公園北東隅付近)大神様を産土神とされました。現在の
三先池島をお護りされる氏神様です。
明治45年・大正元年(1912年)には当時の地主、田中市蔵なる人が私財を投じ修築され
ました。昭和20年(1945年)には、この辺りは空襲に遭い焼け野原になりました。しかし
当社は、大神様のご加護により消失は免れました。

八幡屋公園・・・面積は約12.4ヘクタール。
1923年、当地に「大阪市立運動場」が開場したことに始まる。当時としては東洋一の規
模とされ、戦前は大規模な競技大会も行われたが、1964年に長居公園内に長居陸上
競技場が完成して以降、主要な陸上競技大会は長居で開催されるようになった。その
ため運動場を廃止し、1972年に八幡屋交通公園として新たに開園。実際の公道そっく
りの道路が園内に作られ、信号機や踏切などを体験しながら交通ルールを学ぶ場とし
て利用された。運動場の廃止に伴い、1956年に開設された大阪国際見本市港会場の
敷地も拡張されている。1985年に大阪国際見本市港会場が南港に移転し「インテック
ス大阪」となったことで、1993年以降、見本市会場跡地と交通公園を一体化した八幡屋
公園として再整備されることとなった。それを受け1996年に大阪プールと大阪市中央体
育館が八幡屋公園に移転した。
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弁天町駅へ向かう
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弁天町駅(ゴール)
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