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5月18日の歴史を感じる大阪七坂めぐり-1

6月1日       5月18日の歴史を感じる大阪七坂めぐり-1
                昼飲み会ハイキング 歩程約6㎞
此の日の近鉄駅フリーハイキングは、知人と3名で参加、途中から1人抜けて用事を
済ませて来てから、又合流して3名で歩くと言う、変則ハイキングとなったが・・・i
コース  近鉄駅フリーハイキング 日本橋駅東改札口 受付
日本橋駅東改札口~真言坂~生圀魂神社~大蓮寺(吉本芸人塚・天王寺高等学校
開校の地碑)~浄国寺(バラ園・法念上人御廟・夕霧太夫之墓)~源聖寺坂~口縄坂
~大江神社~愛染坂~清水坂~天神坂~逢坂へ行かずコース変更・・・
天神坂~コース変えて一心寺~茶臼山~天王寺⇒湯処・あべの橋~居酒屋へ
ハイキングは、K場さんM吉さんと3名で、私の万歩計は、18023歩で約13.3km。
銭湯の後、天王寺駅で合流、K場さんM吉さんN西さんA座さんと5名で昼飲み会。
最近の昼飲み会は15:00~17:00 コストダウンして会費2600円での飲み放題・・・
志都美駅
曇ってて二上山と葛城山がみえない
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生圀魂神社の大鳥居
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天王寺七坂めぐり
真言坂(しんごんさか)
生國魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が明治の廃仏毀釈迄神
社周辺で栄えていた。うち、神社の北側には医王院・観音院・桜本院・新蔵院・遍照院・
曼陀羅院の六坊があった。すべて真言宗であったので、この坂は真言坂と呼ばれた。
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生圀魂神社
社伝では、神武天皇(初代天皇)の東征の際、天皇が摂津国難波碕(現在の難波宮跡、
大坂城付近)に生島神・足島神を鎮祭したのが創建という。
大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては
現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も建立され繁栄し
たが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に現在地に遷座されている。
この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)は、国土
の神霊とされる。両神は平安時代に宮中でも常時奉斎されたほか、新天皇の即位儀礼の
1つである難波での八十島祭(やそしままつり)の際にも主神に祀られた重要な神々で、生
國魂神社自体もそれら宮中祭祀と深い関わりを持つとされる。また、同様に大坂城地から
遷座されたという久太郎町の坐摩神社とともに、難波宮との関わりも推測されている。その
後中世・近世を通じても崇敬を受け、戦前の近代社格制度においては最高位の官幣大社
に位置づけられた、大阪の代表的な古社の1つである。
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大蓮寺
文教と芸能の源流、いのちの営みを結ぶ、大蓮寺の伝統の軌跡です。
なにわの名刹・浄土宗大蓮寺は、いまから450 年前の天文19年(1550年)3月5日、
時の将軍足利義晴の三男坊・晴誉上人によって、足利家の大坂祈願所として創建さ
れました。正式な山号は「浄土宗如意珠應山極楽院大蓮寺」。
当時5千坪を有したといわれる大蓮寺は、その頃から大阪屈指の寺院として名高く、
近世には徳川家の祈願所として愛護され、浄土宗別格寺院としての威容を誇りまし
た。境内は東西五町南北四町、塔頭8ヶ寺、直末75ヶ寺を有したといわれます。
明治45年、大阪大火によって境内の一部を焼失。昭和20年3月14日大阪大空襲に
より伽藍を焼失して、戦後再建されました。寛永期造立された梵鐘は総高206cm、市
中第一といわれましたが、戦時中に供出されました。
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浄國寺・・・無衰山淨國寺
浄國寺は、永禄3年(1560)寂蓮社円誉上人が創建した、450年の歴史ある寺院です。
浄土宗の元祖法然上人の御分骨を納めたと伝わる御廟があるほか、江戸後期の俳
人・升屋六兵衛(升六)の墓所、歴史に名を刻む美人「夕霧太夫」の墓所があります。
大阪の名所旧跡・時事・風俗などを記した『浪華百事談』に「順慶町通りより御堂筋の
西を浄國寺町と呼べり」とあり、もとは西区新町、淨國寺町と呼ばれた所に在したお
寺で創建よりほどなくして現在の松屋町沿いの下寺町にうつりました。
本尊の阿弥陀如来像は江戸初期の作と伝わり、説法印といわれる独特の印を結ぶ
仏像は、浄土宗寺院でも珍しいお姿の仏様であります。
境内の裏に広がる森は生魂神社の鎮守の森と合わさり、大阪ミナミの都会のすぐ近
くという立地ながら、背景に豊かな緑を形成しております。
桜をはじめとして多くの花木が植えられ、四季折々の花々が咲く、バラが綺麗でした。
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源聖寺
阿弥陀様をお護りし、法然上人様のみ教えを広めてゆく浄土宗寺院で、創建 されて
より約420年が経ちます。
当寺を建立(こんりゅう)された初代は、深蓮社遠誉上人荷公和尚とおっしゃって、奥州
衣川(岩手県)の出身で、継母の妬みにあい、父の勧めによって常陸国瓜連〈茨城県〉
浄福寺にて出家し、六十歳の時、慶長元年春、諸国行脚に出られ、西成郡寺嶋〈現在
の大阪西区九条あたり〉に草庵を結ばれました。従って、東国より来て行業(ぎょうごう)
〈仏道の修行〉を西海の岸に営んだ故に、その寺名を東営山西岸寺(とうえいざんさい
がんじ)と名付けられました。
初代遠誉上人は、源空上人浄土宗開祖法然上人のみ教えを源とし、吉水の流れを汲
む聖ということから、寺名を「東営山西岸院源聖寺」と改められました。
本堂の外に、救世観音菩薩、法隆寺の夢殿救世観音菩薩を模して造られたそうです。
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源聖寺坂(げんしょうじさか)
天王寺七坂と呼ばれる坂の一つで、坂の名は、坂の上り口北側に源聖寺があることに
由来する。 西側の上り口は下寺町の松屋町筋に通じ、坂を上りきると生國魂神社正門
の少し南、齢延寺と銀山寺の間を通る。道筋は上町台地上で水平となり、東は谷町筋・
生玉南交差点の一つ南の辻へと至る。上り口から途中までは石畳となっているが、途
中から階段状になり、少し東南東に向きを変える。
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齢延寺(れいえんじ)・・・生魂山 齢延寺
天王寺七坂のひとつ源聖寺坂の降り口に、銀山寺と向かい合って建つ寺院です。阿吽
2体の仁王像を納める楼門が見事な寺院で、藤田東湖らの墓所もあるようです。本尊は
大阪市の有形文化財に指定されている定朝様の聖観音像です。
曹洞宗のお寺です。立派な山門に驚きました。柱が何本もあるような門、彫刻も施されて
いて見事な楼門に吸い込まれる様に入りました。バナナに似た植物が気になり和尚さん
に聞いたところバナナだと言う事でした。
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バナナ
花が上向きのバナナを初めて見た
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※地湧金蓮(チヨウキンレン)チャイニーズイエローバナナ、たぶん此れだと思う
地湧金蓮(チヨウキンレン) はバショウ科ムセラ属の常緑多年草である。ムセラ属は
バショウ属から分離したもので、1属1種である。 中国の雲南省からインドシナ半島に
かけて分布し、高山に生える。 名は「地から湧き出た金色の蓮」という意味になる。
漢字では「地涌金蓮」とも書く。 読み方は「チユウキンレン」とするものもあるが、正式名
は「チヨウキンレン」である。 英名はチャイニーズイエローバナナである。
草丈は60~100センチくらいである。 葉は長い楕円形で、芭蕉(バショウ)やバナナに
似ている。花の構造も芭蕉(バショウ)やバナナと同じだが、鮮やかな黄色い苞(花序全
体を包む葉の変形したもの)に特色がある。開花時期はは6~10月くらいである。

口縄坂(くちなわさか)
天王寺七坂のひとつ。「大阪みどりの百選」に選定されている。
「口縄」とは大阪の古い言葉で「蛇」のことであり、坂の下から道を眺めると、起伏が蛇に似
ていることからそう呼ばれるようになったとされている。
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大江神社鳥居が見える
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大江神社の鳥居よこから始まり登りきったところにも大江神社の鳥居が有る
愛染坂(あいぜんさか)
天王寺七坂のひとつ。坂の上に勝鬘院(愛染堂)と大江神社がある。
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大江神社・パワースポット
当大江神社は、上之宮、小儀、土塔、河堀、堀越、久保の各社と共に天王寺七宮と云われ、
四天王寺の鎮守として聖徳太子が祀られたものと伝えられています。当社は、天王寺北村
の産土神(うぶすながみ)で豊受大神を祭祀しています。いつの頃よりか神仏を混淆して毘
沙門天を祀り、乾の社と称して四天王寺の所管となり、境内に神宮寺を建て祭祀も僧徒(四
天王寺東光院神宮寺の別当)が当っていましたが、明治維新後神仏が分離され、慶應三年
今の社名に改められました。社名は大江岸(おおえのきし)に続いた社地であったところから
大江神社となりました。明治四年郷社に列せられ、明治四十年、大道一丁目字土塔の村社、
土塔神社(祭神素戔嗚尊)、上之宮町字上之宮の村社、上之宮神社(祭神欽明天皇、相殿
に大己貴命、少彦名命)、東区安土町二丁目の無格社、男山八幡神社(祭神応神天皇)、同
四十一年、勝山通一丁目字小儀の村社、小儀神社(祭神素戔嗚尊)を合祀しました。先の戦
争にて絵馬堂と神器庫を残しすべて焼失しましたが、昭和三十八年、氏子崇敬者により本殿、
拝殿が復興されました。千八百坪の広い境内には約百三十本もの榎木、楠木等の樹木が覆
い繁り、大阪市の保存樹林の指定を受けています。
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境内の奥に虎が狛虎?として鎮座
タイガースへの応援スポットが有る
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愛染堂・・・勝鬘院(しょうまんいん)
山号は荒陵山。本尊は愛染明王で、愛染堂とも呼ばれる。四天王寺別院、西国愛染十七
霊場・第一番札所、聖徳太子霊跡・第二十九番札所。真言密教勝鬘流根本道場。
この寺は聖徳太子が開いた施薬院に始まると伝えられ、鎌倉時代には鎌倉幕府5代執権・
北条時頼から寺領を寄進されたという。
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此の続きは、
5月18日の歴史を感じる大阪七坂めぐり-2 として
       下記のメインブログへ詳細を投稿します。
      http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、清水坂へ~
左へ清水寺、右へ下るのが清水坂
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清水坂(きよみずさか)
天王寺七坂のひとつ。有栖山清光院(ありすさん せいこういん )清水寺へ登る坂道。
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清水寺
創建の時期や事情については判然としない。もとは有栖寺(うすじ)と称していた。
寛永17年(1640年)に延海阿闍梨(えんかいあじゃり)により中興された。
宗派は天台系の和宗に属する。山号は有栖山であり、詳名は有栖山清光院清水寺
(ありすさん せいこういん きよみずでら)である。和宗総本山・四天王寺支院。宗教
法人としては清光院で登録されている。
大阪市内唯一の天然の滝とされる「玉出の滝」(たまでのたき)があることでも知られて
いる。京都の清水寺を模して建立されたために、新清水寺(しんきよみずでら)とも呼ば
れる。境内の西側の崖に「清水寺舞台」と称するテラスがあり、京都の清水寺を彷彿と
させるが、現在はテラスだけで堂はない。
「玉出の滝」
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清水寺墓地のテラスへ上がる
あべのハルカスと通天閣
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安井神社・・・・真田幸村・かんしずめの井(安井の清水)
安居天満宮ともいう。安居天神、安居神社とも。
創建年は不詳であるが、当社は少彦名神が祭られており、天慶5年(942年)から菅原
道真が祭られるようになったと伝えられている。菅原道真が大宰府に流されるときに、
風待ちのために休息をとった為にその名がついたという伝承がある。
明治に書かれた『大阪けんぶつ』では、当社は菅原道真ではなく少彦名神を祀る神社で
あり、道真が休んだから「安居」となり、近くに天王寺三名水の井戸があることから「安井」
となったと伝えられるが、考証がないため信じられない、としている。
また、大坂夏の陣で真田信繁(幸村)が当神社境内で戦死したと伝えられ、境内に戦死
跡之碑が、他に古来、名水特に七名水として名を馳せた安居の清水(別名:かんしずめ
の井)の址などがある。
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天神坂(てんじんさか)
天王寺七坂の一つ。安居天神へ通じる坂道なのでこのように呼ばれている。この神社
境内は大坂夏の陣に真田幸村が戦死したところで、本堂脇に「真田幸村戦死跡之碑」
がある。また、同境内すぐ下には七名泉の一つ、安居の清水があり「かんしずめの井」
(癇静め)とも呼ばれよく知られている。
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コースを変えて
一心寺へ向かう
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一心寺(いっしんじ)
一心寺は、大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺であり、正式名称は坂松山高岳
院一心寺(ばんしょうざん こうがくいん いっしんじ)。骨仏の寺としてよく知られている。
天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建ち、緑の多い広い境内を有している。法
然上人二十五霊跡第七番札所。
1185年(文治元年)の春、四天王寺の別当であった慈円の要請によって、法然が四天王
寺の西門の坂のほとりに、四間四面の草庵を結び、「荒陵の新別所」後に「源空庵」と称し
て住んだという。後白河法皇が四天王寺参詣の際に訪れて法然と共に日想観を修した。
当時草庵の西は海を遠く見渡せ、極楽浄土の瑠璃の地のようであったという。1596年
(慶長元年)、三河の僧侶であった本誉存牟上人が法然の旧跡であるこの地で一千日の
念仏修法を行い、寺を再興した。彼の一心称名をもって寺ができたため、一心寺という名
になったといわれる。
又、大坂夏の陣の天王寺・岡山の戦いで最前線に立ち討ち死にした本多忠朝の墓所があ
るが、彼は酒を飲んでいたため冬の陣で敗退し家康に叱責され、見返そうと夏の陣で奮戦
したが討ち死にし、死の間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれ
ることから「酒封じの神」とされるようになった。今でも墓所には禁酒を誓う人が詣でている。
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※骨仏の寺
盆の間だけの施餓鬼法要が年中無休でできる寺として知られ、また宗旨に関係なく参詣
や納骨を受け入れる寺でもあったため、全国から多くの納骨が集まった。1851年(嘉永
4年)に遺骨数万体を集めて最初の大きな骨仏(阿弥陀仏)を作り、1887年(明治20年)
以後10年ごとに集まった納骨で骨仏を作っている。
太平洋戦争期の大空襲で戦前の分は焼失したが、戦後1947年(昭和22年)から骨仏作り
を再開(この際、空襲で焼失した戦前分の骨仏の残骸をかきあつめて第七期骨仏として完
成)、現在も年中無休で年2万ほどの法要と納骨を受け入れ、10年分をあわせて骨仏が作
られている。現在は第七期から第十三期(2007年(平成19年)開眼。1997年(平成9年)か
ら2006年(平成18年)末まで)の骨仏が安置されている。

茶臼山・・・茶臼山公園 茶臼山古墳
茶臼山古墳(ちゃうすやまこふん)は、大阪市天王寺区茶臼山町にある前方後円墳。
大阪府指定史跡に指定されている。
古墳の周囲一帯は天王寺公園となっており、この古墳も公園の一部として遊歩道が整備
されている。公園本体との間には河底池(かわぞこいけ・こそこいけ、通称ちゃぶいけとも
言う)があるが、これは788年(延暦7年)に和気清麻呂が、大和川や河内湖の排水と水運
のために上町台地をここで開削しようとして失敗した跡地とも言われる。和気橋もある。
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和気橋・川底池
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てんしば(天王寺公園)で昼食
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湯処・あべの橋・・・キューズモール裏手にある銭湯
天然温泉浴槽有り・・・大阪市港区の『天然温泉テルメ龍宮』から毎日搬送しています。
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※『天然温泉テルメ龍宮』
源泉名 龍宮温泉 1号 阪市港区2丁目3番33号  深さ  1,500m
泉質 ナトリウム塩化物強塩温泉   泉温 摂氏53.9度(浴槽温度40~42℃)
効能 ・神経痛・筋肉痛・関節・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・のこわばり・打ち身
    ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・切り傷
    ・やけど・慢性皮膚病・虚弱体質・慢性婦人病

JR天王寺駅の待ち合わせ場所へ向かう
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居酒屋・甘太郎
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飲み会解散後の
カラオケ無しで早く帰れたので家の近所の・・・
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