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6月9日の唐子・鍵遺跡史跡公園を歩く-1

6月13日        6月9日の唐子・鍵遺跡史跡公園を歩く-1
               近鉄漫歩ハイキング 歩程約14km
此の日は、久し振りの近鉄ハイキングに知人のK場さんI田さんO村さんM村さんと5名で
参加、私にとっても5月28日以来のハイキング、久し振りに歩き疲れるほど歩きました・・・
此の日の私の万歩計は、26835歩で約19.8km歩いたことに 
コース  近鉄万歩ハイキング  田原本駅西改札口前 9時半~10時  Kipsポイント
田原本駅(受付)~春日神社~孝霊神社~黒田駅~黒田大塚古墳~法楽寺~但馬駅~
三宅町中央公園(昼食)・古墳~忍性菩薩誕生地碑~屏風杵築神社~白山神社~結崎面
塚公園~石見鏡作神社~太神社~道の駅レスティ唐子・鍵(抽選)~唐子・鍵遺跡史跡公
園~コースを変えてショートカットして石見駅へ
田原本駅(受付)~
春日神社(宮古)
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孝霊神社
祭神
孝霊天皇(大日本根子彦太瓊尊)おおやまとねこひこふとにのみこと
彦五十狭彦命 ひこいさせりひこのみこと(吉備津彦命・桃太郎噺のモデル)
稚武彦命 わかたけひこのみこと。他三神
由緒・・・境内の看板より】
もと法楽寺の鎮守社であったが、明治時代初期に現社地へ遷座をし、黒田村の氏神
として引き継がれた。旧地より移したものに「明和七年」の紀年銘をもつ石燈籠一対が
ある。岡山県や香川県など日本各地に残る桃太郎の伝説地の多くは、古事記・日本
書紀に記されている孝霊天皇の皇子の彦五十狭彦命と稚武彦命兄弟の活躍に由来
するものである。第七代孝霊天皇の黒田廬戸宮は、田原本町宮古(「都」の意)からこ
の黒田のあたりを指し、この一帯は古代の地名を残した貴重な所である。孝霊神社の
周辺には、弥生時代の黒田遺跡や、古墳時代の前方後円墳・黒田大塚古墳がある。
この前の道は、聖徳太子が通ったとの伝承をもつ太子道である。
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黒田駅
黒田大塚古墳
古墳時代後期の前方後円墳である。周濠まで含めた本来の全長は86メートルであるが、
後世に周濠は埋め立てられ、墳丘の周囲が削り取られている。 周濠の発掘調査では埴
輪や木製品が出土しており、墳丘上に立て並べられていたものと考えられる。葺石は認
められない。 出土品の一部は、唐古・鍵考古学ミュージアムに展示されている。
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法楽寺
法楽寺は、由緒書によれば、孝霊天皇黒田廬戸宮跡に建立され、聖徳太子開基
にかかるものとされる。承元元年(1207年)、伽藍坊舎は残らず焼失したが、貞応
元年(1222年)に再建がなされた。
長禄三年(1459年)八月の墨書銘をもつ板絵には、盛時の法楽寺の伽藍坊院が描
かれている。室町時代の盛期には堂宇25を数えたが、兵火で焼けて現在残るのは
1坊のみである。本尊は子安地蔵菩薩立像。僧形地蔵菩薩坐像(室町時代後期)な
どの古い仏像も所蔵する。
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但馬駅
三宅町中央公園へ向かう
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三宅町中央公園(昼食)
瓢箪山古墳へ向かう
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瓢箪山古墳・・・三宅古墳群
前方後円墳(調査の結果、全長約40m、後円部径約26m、6~12mの周濠を持つ
前方後円墳であると復元された)前方部を南西方向に向ける。埋葬施設は、未調
査(横穴式石室の可能性は低い) 周濠埋土より、円筒、人物(女性)・犬:盾など
の埴輪片、須恵器が出土。築造年代は、6世紀前半とみられる(出土資料より)
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※三宅古墳群
三宅古墳群は三宅町、川西町、田原本町にまたがる古墳群で、計17基の古墳が
確認され、全長約50メートル規模の前方後円墳が中心。最大の古墳は川西町に
ある島の山古墳(全長190メートル)で、石製品が大量に見つかっている。

忍性菩薩誕生之地石碑へ向かう
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忍性菩薩誕生之地石碑
良寛坊忍性上人は鎌倉時代の律僧です。
建保5年(1217)7月16日、ここ城下郡屏風里(磯城郡三宅町)で誕生しました。
嘉元元年(1303)鎌倉の「極楽寺」で87歳の生涯を閉じ嘉歴3年(1328)に後醍
醐天皇より「菩薩」号を与えられました。
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此の続きは、
6月9日の唐子・鍵遺跡史跡公園を歩く-2 として
      下記のメインブログへ詳細を投稿します。
     http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、屏風杵築神社~
屏風杵築神社
素戔鳴命(須佐男命)を祀る旧村社で、境内には  牛頭天王社と刻まれた石燈籠が
ある。拝殿にかけられている「伊勢太神宮へのおかげまいり」の絵馬は、慶応四辰九
月吉祥日に屏風の里氏子たちが奉納している。
太神宮の旗を立て、40人ほどの人たちが三味線などにあわせて踊り行く姿は、当時
のおかげまいりを偲ぶよい資料である。
この杵築神社には「伊勢太神宮へのおかげまいり」の絵馬の他にも、聖徳太子が駒
をとめて、この地に休息された故事を描いた絵馬がある。このゆかりの石が向いの
白山神社の境内にある。
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あざさ・・・万葉歌の花
沼地に生じ地下茎から葉を出し水面に浮かべ、夏期、黄色の花をつける。
5月~10月の間、磯城郡三宅町では、「三宅の原」の地名と共に奈良盆地の平坦部
で唯一万葉歌に詠まれた幻の花「あざさ」が町内の至るところで咲き誇ります。可憐
な黄色の花を咲かせる「あざさ」は愛の花であるため、「恋人の聖地」でもある三宅町。
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屏風の清水・・・境内にある、聖徳太子ゆかりの古跡。
聖徳太子がこの地で休息され、従者の持つ弓をとって   この地を打ち掘られると、
冷水がこんこんと湧き出た。
以降、太子がこの地をお通りになるときは、この水を愛飲されたと言い伝えられて
いる。 (屏風の里古跡より)
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白山神社
この神社は、法隆寺に通じる道路と川を挟んで杵築神社と相対する位置にある。
境内に表面扁平な大きい石が半分ほど地下に埋もれたものがある。これが伝説に
いう聖徳太子が橘寺から法隆寺への道中、ここで小休されたと伝える「腰掛石」で
ある。向いの杵築神社には、その情景を描いた絵馬が奉掛されている。
腰掛石
聖徳太子は飛鳥の里から、宮古・伴堂を経て屏風を通り唐院を過ぎ法隆寺に通っ
ておられたとき、屏風の里の白山神社で駒を止め、柳につなぎ「腰掛石」に腰かけ
られたといいつたえられている
聖徳太子が駒をとめて、この地に休息されたゆかりの石が白山神社の境内にある。
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腰掛石
聖徳太子が駒をとめて、この地に休息されたゆかりの石が境内にある。
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結崎面塚公園
「室町時代のある日のこと、一天にわかにかき曇り、空中から異様な怪音とともに寺川
のほとりに落下物があった。この落下物は、一個の翁の面と一束の葱で、村人は能面
をその場にねんごろに葬り、葱はその地に植えたところ見事に生育し、戦前までに『結
崎ネブカ』として名物になりました。
観世の発祥は、観阿弥三郎清次が、大和の国の山田猿楽(現在の桜井市山田)から、
大和猿楽四座の一つ「結崎座」に加わり、一般大衆にもわかりやすい芸能に変化させ、
座名も「結崎座」から「観世座」となりました。
その後、観阿弥は、結崎に居を定め、世阿弥の出生とともに猿楽から能楽に移行する
中で、室町将軍の庇護のもと、不抜の基礎を築き、特に世阿弥が天才的な芸風を持ち、
三代将軍義満の寵愛を受けました。観世座は観阿弥、世阿弥親子二代の出現によって
能楽完成に偉大な功績を残し、現在の繁栄につながっているといえます。
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道の駅レスティ唐子・鍵へ向かう
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石見鏡作神社
御祭神は、石凝姥命、白鬚神社「白鬚明神」
この地に居住した鏡の鋳造を業とした鏡作部の氏神である。
城下郡の鏡作鄕と黒田鄕にまたがる地域には五つの鏡作神社があり鏡作部の本拠
地でした。そのうち鏡作坐天照御魂神社、鏡作麻気神社、鏡作伊多神社の三社が式
内社として登録されていますが、石見鏡作神社だけは式内社ではありません。
しかし石見鏡作神社は全部の鏡作神社の元社との説もある重要な神社です。
祭神の石凝姥命は天照大神が天岩戸に隠れたとき、天照大神を誘い出すために鏡
を作りました。石凝姥命は瓊瓊杵尊の天孫降臨では、五伴緒の一神として随伴しまし
た。五伴緒とは天児屋命、天太玉命、天鈿女命、玉祖命、石凝姥命のことです。
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石見鏡作神社に隣接する
太神社
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道の駅レスティ唐子・鍵へ向かう
寺川
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道の駅レスティ唐子・鍵(抽選)
道の駅「レスティ唐古・鍵」
田原本町道の駅「レスティ唐古・鍵」は、さまざまなイベントの開催とともに、田原本町
内の新鮮な野菜、果物、花をはじめ地元や県下の特産品を多数販売します。また、
1階のベーカリーでは「黄金の生食パン極」を製造直売するとともに、各種ジェラートを
販売し、2階のカフェではバラエティー豊かな12種類の「オリジナルドッグサンド」をメイ
ンに、ドリンクメニューや軽食メニューをご用意しています。
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3Fテラスから見る
唐子・鍵遺跡史跡公園
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抽選には5名全員が外れ、カフェで休憩して
唐子・鍵遺跡史跡公園へ向かう

唐子・鍵遺跡
唐古・鍵遺跡(からこ・かぎいせき)は、奈良盆地中央部、標高約48メートル前後の沖積
地、奈良県磯城郡田原本町大字唐古及び大字鍵に立地する弥生時代の環濠集落遺跡。
現段階の調査で認知されている遺跡面積は約30万平方メートル。規模の大きさのみな
らず、大型建物の跡地や青銅器鋳造炉など工房の跡地が発見され、話題となった。
全国からヒスイや土器などが集まる一方、銅鐸の主要な製造地でもあったと見られ、弥生
時代の日本列島内でも重要な勢力の拠点があった集落ではないかと見られている。
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遠目に楼閣を見て
コースを変えてショートカットして一番近い石見駅へ向かう、歩き疲れた・・・
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