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11月4日の晩秋の上町台地散策と「四天王寺ワッソ」-1 

11月11日       11月4日の晩秋の上町台地散策と「四天王寺ワッソ」-1 
                   近鉄ハイキング 9㎞
此の日は素晴らしいハイキング日和の中・K場さん・O村さん・I 田さん・久し振りに参加
の・Mちゃんと私の5名で歩く事に・・・
コース  近鉄駅フリーハイキング 大阪上本町駅地上コンコース 10時集合・スタート
大阪上本町駅~産湯稲荷神社~三光神社~玉造稲荷神社~大阪城公園~難波宮跡
「四天王寺ワッソ」~円珠庵~上本町駅迄のコースを少し変え、森ノ宮駅へ帰るに・・・
上本町駅~産湯稲荷神社~円珠庵(釜八幡)~興徳寺~真田丸顕彰碑~心眼寺~善
福寺(どんどろ大師)~三光神社~玉造稲荷神社~越中井~難波宮跡「四天王寺ワッソ」
会場で近鉄ハイキング粗品貰う~大阪城公園~難波宮跡「四天王寺ワッソ」~森ノ宮駅
難波宮跡「四天王寺ワッソ」会場で近鉄ハイキングの粗品を貰って大阪城公園へ行かず
に難波宮跡で昼食休憩、ワッソ巡行迄未だ未だ時間が有るのでコーヒータイムに茶店探
してNHK放送局と歴史博物館へ行ってみたが茶店は満席で待ち時間かかる様、難波宮
跡迄戻り解散?3名は森ノ宮駅方向へ戻り、Kやん(ワッソ初めて)と私はワッソ見物に・・・
足が棒になる迄?最後迄巡行を見て、此の日の私の万歩計は16319歩で約12kmに・・・
志都美駅
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上本町駅
産湯稲荷神社
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産湯稲荷神社の境内に「式内比売許曽神社御旅所」と「桃山跡」の石碑。
桃山というのはこの辺りの丘陵には明治の頃まで広大な桃林があったことに由来すると
いう。1919年(大正8年)に埋め立てられた味原池とともに景勝地として知られていた。
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産湯稲荷神社
当社は比売許曽神社の旧社地にあり、現在は御旅所で末社となっている。
現地に掲げられていた社記によると「当地の開拓神である大小橋命(おおおばせのみこ
と)は天児屋根命の十三世の後胤で、13代成務天皇の御代(4世紀頃?)、ここ味原郷
に誕生した。その時、境内の玉の井の水を汲んで産湯に用いたので、この地を「産湯」と
いう。 父は神功皇后の近臣中臣雷大臣、母は紀氏清夫と言い、3人兄弟の長男である」
としている。すなわち、大化の改新で活躍した藤原家の祖、中臣鎌足の先祖に当る人で
ある。 この誕生のときの胞衣を埋めたと伝わる胞衣塚が比売許曽神社の近くにある。
また、一説では生野区にある御勝山は大小橋命の墓であるとも言われ、この地には大
小橋命に関わる伝承は多い。
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円珠庵(鎌八幡)
かつてこの場所には、古くから人々の信仰を集めていた大きな榎の霊木があり ました。
約400年前の大阪冬の陣の折、この地に陣所を構えた真田幸村がその話を聞き、慣習
にならってその木に「鎌八幡菩薩」と称して鎌を打ち込み祈祷したところ、大いに戦績を
上げることができたと言われて、これが鎌八幡の由来。
その後江戸時代初期、国文学者として著名な契沖が境内に居を構え、円珠庵と称して
研究と同時に信仰してきました。この頃からこの寺は必勝祈願の祈祷寺として信仰され
ています。 鎌八幡が悪縁切りとして有名になったのは昭和に入ってから。 大空襲で御
神木を始め境内の多くが失われたものの、見事な再生を遂げました。
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興徳寺
興徳寺(こうとくじ)は大阪府大阪市天王寺区餌差町にある 高野山真言宗 の仏教寺
院。天平年間(729年~749年)行基の開創。度々の兵火に火災を罹り、古記を失う。
天正年間(1573年~1592年)の頃、祐乗上人が再興。大正4年(1915年)6月1日の
火災で本堂・庫裏を失い、わずかに土蔵のみが残った。
昭和20年(1945年)の大阪大空襲では山門を残して全焼す。その後再興。
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真田丸顕彰碑(さなだまるけんしょうひ)
真田幸村(信繁)が大坂冬の陣の際に築いた砦「真田丸」があったとされる天王寺区
餌差町に「真田丸顕彰碑」が建立され、平成28年2月1日(月)に天王寺区役所主催
の除幕式が行われました。 碑に組み込まれた陶板には、大阪城天守閣所蔵の「大
坂三郷町絵図」と、「大坂冬夏 陣立図」のうち「冬の陣図」が載っています。
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心眼寺・・・真田幸村・大助親子のゆかりの地に立つお寺
大阪城の出城である「真田丸」の跡地横に真田幸村・大助父子と深く関係するお寺があ
り、名前を心眼寺といいます。
1622年(元和8年)、大坂夏の陣から7年後に、白牟(はくむ)和尚が戦国武将真田幸村・
真田大助父子の冥福を祈るために建立されました。この白牟和尚は、真田家の祖先滋
野氏の一族だと言われています。
創建から寺の定紋は真田家の家紋である六文銭が使われ、山号は真田山と称します。
門には六文銭が付いています。
入口には「真田幸村出丸城跡」碑がありますが、最近の調査の結果で、出丸城で は無
かったことがわかりました。
境内に「従五位下真田左衛門佐豊臣信繁之墓」が2014年に新たに建立されており、そ
れによると、三日月の形をしていたことから偃月城とも呼ばれていたと書かれています。
真田丸は大坂冬の陣の講和条件により破却されました。
戦国時代とは関係ないが、江戸時代の幕末、坂本龍馬を暗殺したことで有名になった
京都見廻組の桂早之助と渡辺吉太郎のお墓もここにあります。
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善福寺(どんどろ大師)
善福寺(ぜんぷくじ)は、高野山真言宗の寺院。「どんどろ大師」「どんどろ」と通称する。
山号は如意山。院号は甘露院。「どんどろ大師」の名で知られる。鏡如庵大師堂(きょう
にょあんだいしどう)は、宝暦2年(1752年)3月に高野山岩本院 法資法道が大坂夏の
陣(元和元年・1615年)の戦死者の霊を弔うために創建されたと言う。
鏡如庵とも称する。鏡如庵大師堂のあった付近は、大坂冬の陣(慶長19年・1614年)
では、真田幸村が真田丸を築き、激戦があった。大坂冬・夏の陣ともに激戦地であった。
どんどろ大師は浄瑠璃『傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)』に登場し、お弓とお鶴
の母子再会の舞台としても有名です。
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境内のミツマタ
冬になれば葉を落とす落葉性の低木であり、ジンチョウゲ科のミツマタ属に属する。中国
中南部・ヒマラヤ地方が原産地とされる。3月から4月ごろにかけて、三つ叉(また)に分
かれた枝の先に黄色い花を咲かせる。そのため、「ミツマタの花」は日本においては仲春
(啓蟄〔3月6日ごろ〕から清明の前日〔4月4日ごろ〕まで)の季語とされている。皮は和紙
の原料として用いられる。
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三光神社
当神社は大阪城東南の丘陵(上町台)真田山に鎮座し昔は姫山神社(大昔の姫の松原
の遺称)と称したが、全国的には真田山の三光の名称の方がよく知られ今では三光神
社となった。創立は仁徳天皇から三代後人皇十八代反正天皇の御宇と言い伝えられ創
建以後神職として奉仕された武内宿弥の末裔武川氏(八十六代)にして今に至ると言う。
当神社は古来より日本全国で唯一の中風除の神として広く知られ毎年恒例の神事とし
て六月一日を祈願の初日と定め七日間往古より今に至るまで変わることなくとり行われ
全国各地からの参拝者が絶えない。
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真田の抜け穴
大坂城の出城のあった処で慶長元和の大阪合戦の頃真田幸村が此の地に偃月城
(えんげつじょう)と名付ける塁を定め本城よりここに至るまで地下に暗道を設けたと
言い伝えられ今なおその跡を三光宮鎮座の階下にあり。
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真田幸村の像
真田の抜け穴脇に真田幸村公の陣中指揮姿の銅像を建立(昭和62年5月5日)、
その台座に信州上田の真田家の菩提寺である長谷寺より取り出した石(名付けて
真田石)が置かれている。
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玉造稲荷神社へ向う
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玉造稲荷神社
当神社は垂仁天皇18年(西暦 紀元前12年)の秋に創祀されたと伝えられ用明天皇
3年に改築。聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋公と争われた際、この玉作岡に陣
を敷き「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生じさせ給え」と祈願されたと
ころ、のちに枝葉が生じ、この戦いも無事に終わったといわれています。
その後、天正4年の兵乱により本・末社、旧記等ことごとく焼失しましたが、慶長8年に
豊臣秀頼公により社殿、高殿(舞台)が再建されました。大坂の陣で、当地は再び戦
地となり被害をうけましたが、元和5年に徳川幕府の大坂城代 内藤紀伊守を始め、
氏子・崇敬者の寄進を以って再建。別称は豊津稲荷神社とも呼ばれ豊臣・徳川時代
を通じ「大坂城の鎮守神」として崇敬されたことが、史料に残っています。江戸時代に
は伊勢参りの出発点とされた。文久3年(1863年)11月の大坂大火(新町焼)で焼失
するが、1871年(明治4年)に再建。現在の「玉造」の社名は鎮座地の地名によるもの
で、一帯は古代、勾玉などを作っていた玉作部の居住地であったという伝承がある。
豊臣家奉納鳥居
慶長8年(1603年)、豊臣秀頼により社殿再建時に奉納された石鳥居。阪神・淡路大
震災により基礎に損傷を受け、現在は上部・脚部に分け、境内に置かれている。
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越中井
豊臣時代の大名、細川越中守忠興(ほそかわえっちゅうのかみただおき)の屋敷が
ありました。越中井は細川家の台所跡に残る井戸だといわれています。
忠興の妻ガラシャは石田三成の軍勢に囲まれ、玉造のこの屋敷で最期を迎えました。
井戸は悲劇のシンボルになっています。
細川 ガラシャ(伽羅奢、迦羅奢)/ 明智 珠(明智 玉)(ほそかわ ガラシャ / あけち たま、
永禄6年(1563年) - 慶長5年7月17日(1600年8月25日))は、戦国時代から安土桃山
時代にかけての女性。明智光秀の三女で細川忠興の正室。諱は「たま」(珠、玉)また
は玉子(たまこ)。キリスト教信徒(キリシタン)として有名。
明治期にキリスト教徒らが彼女を讃えて「細川ガラシャ」と呼ぶようになり、現在でも広
くこのように呼ばれる場合が多い。
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難波宮跡
難波宮(なにわのみや)は、飛鳥時代・奈良時代の難波(現在の大阪市中央区)の
上町台地の先端付近にあった古代宮殿。
前期難波宮
乙巳の変ののち、645年に孝徳天皇は難波(難波長柄豊崎宮)に遷都し、宮殿は652
年に完成した。天皇制の始まり、元号の始まりである大化の改新とよばれる革新政治
はこの宮でおこなわれた。この宮は建物がすべて掘立柱建物から成り、草葺屋根で
あった。『日本書紀』には「その宮殿の状、殫(ことごとくに)諭(い)ふべからず」と記さ
れており、ことばでは言い尽くせないほどの偉容をほこる宮殿であった。
孝徳天皇を残し飛鳥(現在の奈良県)に戻っていた皇祖母尊(皇極天皇)は、天皇が
没した後、655年1月に飛鳥板蓋宮で再び即位(重祚)し斉明天皇となった。
683年(天武12年)には天武天皇が複都制の詔により、飛鳥とともに難波を都とした
が、686年(朱鳥元)正月に難波の宮室が全焼してしまった。
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「四天王寺ワッソ」会場で近鉄ハイキング粗品貰う
難波宮跡で昼食休憩

午後からは、K場さんと二人で
難波宮跡「四天王寺ワッソ」会場
「四天王寺ワッソ」・・・ワッソは現代韓国語では「来た!」の意味?
古代のなにわを舞台に行われた、朝鮮半島や中国などの東アジア古代国家と日本の
交流の様子を「再現」した祭り。当時の東アジアからの使節に扮した参加者が、当時の
ものと推定される音楽と「ワッソ! ワッソ!」の掛け声とともに舟だんじりを曳き、巡行
する。これを古代日本人に扮した参加者が当時のものと推定される作法で出迎える。
関西をはじめ韓国の著名人も参加している。現在は関西財界を中心にNPO法人を創
設し、日韓だけではなく、東アジアの古代交流を再現する「大阪の祭り」として毎年11
月に開催されている。
祭りの際には日本国総理大臣・韓国大統領の双方から祝辞が届く?と言う世界唯一
のイベントとなっている。中学校の日韓歴史共通教材にも取り上げられる など広く認
知されるようになっている。
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レッドカーペット上のワッソ巡行を撮る
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此の続きは、
11月4日の晩秋の上町台地散策と「四天王寺ワッソ」-2 として
             下記のメインブログへ詳細を投稿します。
           https://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、ワッソ巡行の続き~
レッドカーペット上をワッソ巡行の続き
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おまけ
勝山通りのアメリカデイゴ
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