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11月11日の王寺町で明神山と達磨寺座禅体験-1

11月20日       11月11日の王寺町で明神山と達磨寺座禅体験-1
                 JRふれあいハイキング王寺町 10km
此の日は、知人と3名で10月に予約申込みしてあったJRふれあいハイキングに参加、10月に
阿倍野の近鉄ハイキングで知り合って御一緒した方とも偶然に再会する等、楽しいハイキング
となった。座禅でパンパンと肩を叩かれるのが何とも言えず好き!、此れがあるから明神山へ
の登頂にも耐えられる?勿論明神山のテラスからの眺めにも魅了されて登るのだが、やはり
達磨寺での座禅体験が出来るから何度も此処の参加する・・・
コース  JRふれあいハイキング  王寺町観光ボランティアガイドの会主催
王寺駅~孝霊天皇陵~畠田公園~明神山(昼食)~火幡(ほばた)神社~芦田池~達磨寺
(座禅体験)~王寺駅。王寺町ボランティアガイドの皆さんお世話になり有難う御座いました。 
此の日の私の万歩計は、22584歩で約16.7km歩いたことに、座禅では4回叩いて貰った・・・
志都美駅
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王寺駅で知人と合流、
受付を済ませて2班でスタート
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葛下川の堤防で
朝礼を済ませて孝霊天皇陵へ向かう
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孝霊天皇陵
孝霊天皇は日本の第7代天皇(在位:孝霊天皇元年1月12日-孝霊天皇76年2月8日)。
孝安天皇の皇子。母は皇后で天足彦国押人命の娘の押媛(忍鹿比売)。兄弟として
『古事記』では同母兄に大吉備諸進命の名が見える。26才で皇太子となる。
父帝が崩御した年の12月、黒田廬戸宮(くろだのいおどのみや)に都を移す。其れま
での山裾にあった宮と異なり大和盆地の中央に位置する。翌年の1月に即位。即位
2年、磯城県主(または十市県主)大目の娘の細媛命を皇后とし、彦国牽尊(後の孝
元天皇)を得た。また春日千乳早山香媛、倭国香媛らを妃にしている。倭国香媛との
間には崇神天皇の時代に四道将軍となった彦五十狭芹彦命、疫病や反乱を収めるの
に重要な役割を果たした倭迹迹日百襲姫命を得た。即位76年、128才で崩御。 『日本
書紀』・『古事記』ともほぼ系譜の記載のみに限られ、欠史八代の1人に数えられる。
『古事記』には大吉備津日子命と若建吉備津日子命による吉備平定が簡潔に書かれ
ている。此れが後の桃太郎伝説になる。
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王寺ニュータウン?へ向かう
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王寺ニュータウンを畠田公園へ向かう
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畠田公園で小休止
「雪丸弁当」500円予約者に弁当配布
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明神山水神社参道へ
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明神山山頂水神社の大鳥居
此処から山頂の水神社迄1800m
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ようやく山頂迄1000mの所迄来た
お子様連れのご家族での参加者も・・・
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山頂迄400~500m地点に
開けた所が有り亀の瀬の地滑り対策場所が見える
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此の続きは、
11月11日の王寺町で明神山と達磨寺座禅体験-2 として
           下記のメインブログへ詳細を投稿します。  
         https://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、もうすぐ山頂、水神社の・・・・~
もうすぐ山頂、水神社の鳥居が見える
水神社の鎮座地である明神山の山頂は、江戸時代には大日霊女尊(おおひる
め:天照大神)を祀る送迎太神宮が建てられていました。
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明神山山頂に展望テラスが3ケ所あり眺望がすばらしい
この日は霞んでいて良く見えなかったが奈良側大阪側が見える(昼食休憩)
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火幡神社へ向う
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火幡(ほばた)神社
現在の祭神は次の5柱・天児屋根命・息長帯比売命・誉田別命・玉依姫命・天照皇大
神。延長5年(927年)成立の延喜式神名帳における祭神の記載は1座であり、祭神
の比定としては次の記述がある・火之戸幡之神(特選神名牒)・火之戸幡姫命(神名
帳考証)・火之戸幡姫(火幡神社志)、このことから、創建当初の祭神は火之戸幡姫
命であろうと推測される。
社伝によると、大同元年(806年)に創建されたという。新抄格勅符抄によると創建と
同年に神封二十戸が寄進されていることから、創建自体は更に遡ると考えられる。
延喜式神名帳では名神大社に列し、月次・新嘗の奉幣に預ると記されている。江戸
時代は八幡宮と称していた。明治6年(1874年)村社に列格した。
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芦田池へ向かう
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芦田池
片岡山の南側のすそ野、芦田池周辺の一帯は、昔から葦田といわれており、かつては
一帯に葦が繁茂していたため葦田原とも呼ばれていました。それが葦田の原と歌に詠
まれる歌名所となったのです。歌聖・柿本人麿も、「明日からは若菜つまむと片岡のあし
たの原はけふぞやくめる」と歌っています。
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達磨寺(座禅体験)
『日本書紀』によると、推古天皇21年(613年)12月、聖徳太子が道のほとりに伏せって
いた飢人を見つけ、飲み物と食べ物、それに衣服を与えて助けましたが、飢人は亡くな
りました。そのことを大いに悲しんだ聖徳太子は、飢人の墓をつくり、厚く葬りましたが、
数日後に墓を確認してみると、埋葬したはずの飢人の遺体が消えてなくなっていました。
この飢人が、のちの達磨大師の化身と考えられるようになり、達磨寺は生まれました。
このように、聖徳太子と達磨大師の出会いからはじまった達磨寺には、今も本堂の下
に達磨寺3号墳とよばれる古墳時代後期の円墳があります。
これが、聖徳太子が飢人のためにつくったお墓、すなわち達磨大師の墓とされ、鎌倉時
代にその上にお堂が建てられて、本尊として道内に聖徳太子像と達磨大師像が安置さ
れました。
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王寺駅(解散)

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