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12月16日の酒蔵見て歩き 天理 稲田酒造「稲天」-1

12月22日      12月16日の酒蔵見て歩き 天理 稲田酒造「稲天」-1
                 近鉄駅フリーハイキング 歩程約10km
此の日は、知人・K場、I 田さんと3名で参加、午後の雨を心配しながら歩いたが幸い雨
は降らず事無きを得た、18日には異なるコースで稲田酒造様へ向けて歩こう会の納会を
実施する為、此の日は下見?前哨戦?此の日の私の万歩計は、 
コース  近鉄駅フリーハイキング 天理駅受付10時~11時  我々は10時半集合で・・・
天理駅(受付・スタート)~上街道~丹波市跡~市座神社~藤の棚の句碑~山の辺の道
~夜堵技(やとぎ)神社~天理観光農園~内山永久寺跡~石上神社~天理教本部~稲
田酒造・甘酒・試飲・抽選会・酒粕詰め放題(ゴール・解散)~天理本通り商店街~天理駅
今回は、抽選会でK場さんが酒粕当選!おめでとう・・・
日本酒の苦手な私だが甘酒は大好き、此の日はとても暑く?ぽかぽか陽気で天理観光
農園に着くなりソフトクリームで咽を潤してから昼食、トイレ休憩をしてから急坂の山の辺
の道を進み、此の日の私の万歩計は、22145歩で約16.3km歩いたことに・・・
天理駅(受付・スタート)
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天理本通り商店街
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上街道商店街~丹波市跡へ
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丹波市跡
丹波市跡・・丹波の国から戎さんを勧請して市を開いたから丹波市?
なぜ丹波といったかは詳かではないが、古代の氏族に関係ないかと疑っている。大和
郡山市に美濃庄あり、丹後庄あり、和爾と櫟本には丹後という小字があるから、中世
の領主関係か併せ考うべきである。ここが中世末になって上街道に沿った市場として
発達して丹波市となった。丹波の国から戎さんを勧請して市を開いたから丹波市という
と一般にいわれているが、丹波の名は延久以前にさかのぼる。
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恵比寿神社&市座神社
市座神社
丹波市町の恵比寿神社・市座神社
参道の入口左側には丹波から遷されたという恵美須神社、また本殿の右側には妙見
社があります。創祀は不明ですが、事代主命を祀り、今も丹波市の名にふさわしく市
場の守護神として尊崇されています。奧の境内は広く、一角には明治時代まで橋とし
て使われていた大きな石が立てかけられています。この石は緑色をしており、もともと
は古墳に収められた石棺の蓋でした。橋として近代まで転用されていただけあって、
とても大きなものです。今では面影がありませんが、近くには古墳がたくさんあったそ
うです。この石もその中の一つの古墳で使われたものと考えられます。
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藤の棚へ向かう
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藤の棚が見えて来た
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藤の棚の句碑
藤の棚・・・松尾芭蕉の句碑
貞享4年(1687)10月、江戸を発って故郷伊賀上野で越年した芭蕉は、翌年3月、杜国
(万菊丸)を同道して、吉野の花見・高野詣・紀伊遊覧・大和の順遊を試み、4月、須磨
・明石を訪ねて、同月下旬、京に入った。
弟子を伴って此処を訪れた芭蕉は、藤の花を見て、「 草臥(くたび)れて宿かる比(ころ)
や藤の花」と詠み、その句碑が藤棚の下で、今も静かに四季を見つめています。
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夜堵技神社へ向う
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夜堵技(やとぎ)神社
夜都岐神社(やつぎじんじゃ)
夜都岐神社は、奈良県天理市にある神社である。旧社格は村社。夜都伎神社とも書
かれ、「やつき」「やとぎ」などとも読まれる。乙木(おとぎ)集落の北端に鎮座する。式
内小社「大和国山辺郡 夜都伎神社」の論社である(他の論社は同市竹之内町の十
二神社と田井庄町の八剣神社)。夜都岐は、於都岐(乙木)の誤写とする説もある。
全国にある八剣神社との関係の可能性も考えられる。
祭神は、武甕槌命・姫大神・経津主命・天児屋根命。
乙木には元は夜都伎神社と春日神社の2社があったが、夜都伎神社の社地を約400
m東南の竹之内の三間塚池(現在の十二神社の社地)と交換し、乙木は春日神社1
社のみとして社名を夜都伎神社に改めたものと伝えられる。
乙木村は、古くは興福寺大乗院及び春日大社領の乙木荘で、そのため春日大神を当
地に勧請したものとみられる。約200m北に東乗鞍古墳、約300m北西に西乗鞍古墳
があり、当地も宮山(たいこ山)と呼ばれ、古墳を削平して神社を造営したと言われて
いる。春日大社との関係が深く、江戸時代末期まで「蓮の御供」という神饌を献上して
いた。春日大社からは、古くなった社殿・鳥居を60年毎に夜都岐神社に下賜して使用
させる伝統があり、応永13年(1406年)には春日大社の第四殿を下賜されている(春
日大社文書)。また、寛正2年(1461年)4月6日には大乗院の尋尊が参詣に訪れてい
る(大乗院寺社雑事記)。現在の本殿は明治39年に春日大社から移された建物。拝殿
はこの地方では珍しい萱葺である。
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石上神宮へ2km
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天理観光農園へ向かう
正月桜が咲いていた・・・
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此の続きは、
12月16日の酒蔵見て歩き 天理 稲田酒造「稲天」-2 として
         下記のメインブログへ詳細を投稿します。
       https://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、天理観光農園(昼食&トイレ休憩)~
天理観光農園(昼食&トイレ休憩)
天理市の観光名所「山の辺の道」沿いに立地。約1ヘクタールの園内に早生温州みかん
約800本が植林。みかん狩りがたっぷり楽しめます。カフェ、あわ餅つき、バーベキュー、
部屋の貸し出し等。利用方法は自由自在。ご相談下さい。
此の日はとても暑く?ぽかぽか陽気で天理観光農園に着くなりソフトクリームで咽を潤し
てから昼食、トイレ休憩をしてから急坂の山の辺の道を進んだ・・・
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山の辺の道を内山永久寺跡へ向かう
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山なみの向うにシャープの天理工場が見える
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内山永久寺跡へ向かう
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内山永久寺跡
内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)は天理市杣之内町にかつて存在した廃寺です。平安
時代後期の永久2(1114)年に鳥羽天皇の勅願により興福寺僧頼実が創建したと伝えら
れ、往時は壮麗な大伽藍を誇ったといわれます。しかし、明治年間の廃仏毀釈より徹底
的な破壊を受け、いまは境内の池などにわずかに面影を残すに過ぎません。
内山永久寺は院号を金剛乗院といい、真言宗(古義派)に属し、阿弥陀如来を安置して
いたとされます。創建時の年号によって永久寺と称し、その地が五鈷杵(ごこしょ)の形を
して内に一つの山があったので内山と号したといわれています。
鎌倉時代の古文書によって寺運の隆盛が偲ばれ、延元元(1336)年には後醍醐天皇も
吉野に行幸する際に当寺に立ち寄っています。室町時代には「大乗院寺社雑事記」にし
ばしば金剛乗院または内山永久寺のことが記載されています。寺領は最盛期には971
石に達し、境内は五町四方の広大な地域をしめたといわれます。江戸時代末期まで40
有余坊の伽藍があり、上街道の浄国寺北側より永久寺西門に至る間に石畳を敷き、参
詣者が常に絶えなかったといいます。元治元(1864)年には勤王派の絵師冷泉為恭(れ
いぜいためちか)も一時この寺に身を寄せた記録が残っています。
明治維新後に寺領の返還、境内の土地や伽藍の売却などの変事があり、明治9(1877)
年までに「大和の日光」ともうたわれた豪華な堂坊が礎石から瓦一枚に至るまでとりのぞ
かれました。現在は本堂池がわずかに当時の面影を残すのみとなっています。貴重な仏
像、障壁画、仏画等は散逸し、一部は国外にも流出しています。
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石上神社へ向う 0.7km
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石上神社
当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰
の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信
仰されてきました。
総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年
に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上
振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみ
たまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。
平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の
神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています。
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天理教本部へ向かう
天理教本部
天理教(てんりきょう)は、日本で江戸時代末に成立した新宗教の一つ。中山みきを教祖
とする宗教団体である。狭義には奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人(宗教法人
天理教)およびその傘下の被包括宗教法人(教会本部及び一般教会)を指すが、広義に
は中山みきが伝えた教義そのものを指す場合があり、信仰する単立の宗教法人もある。
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天理本通り商店街
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天理三島本通り商店街
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稲田酒造で抽選会・甘酒・試飲・酒粕詰め放題にも挑戦
稲田酒造・・・HPより
稲田酒造は明治10年から天理市で天理教会の御神酒として日本酒造りを始めました。
稲田酒造合名会社はJR・近鉄天理駅から東西に伸びる三島本通り商店街にある創業
130年余りの酒蔵です。 小さな蔵元ですが造り手、売り手、飲み手が一本の糸で結ば
れ、それぞれの顔が見える状況にあること、人と人との繋がりを大切にする事をモットー
に営業しております。
また昭和45年より造り酒屋のおいしい奈良漬けとして白瓜、きゅうり、スイカ、守口大根、
生姜等の奈良漬けを製造・販売させていただいております。
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抽選会でK場さんが酒粕当選!おめでとう・・・
K場さんと二人で酒粕詰め放題に挑戦、K場さん2.8㎏、私は2.2㎏詰めて持って帰った。
酒粕詰め放題は童心に帰り楽しかったので稲田酒造さんにお願いして18日の歩こう会の
納会で訪問する時のイベントにも加えて貰う様にした・・・・

商店街を天理駅へ

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