2019年1月9日の松尾寺&松尾神社へ初詣(ダイジェスト)
2019年1月15日 2019年1月9日の松尾寺&松尾神社へ初詣(ダイジェスト)
近所に住む2女と3名で初詣
同じ町内に住んでる2女が初詣に行きたいと言うので家内と3名で何時もの松尾山へ・・・
厄除けの松尾寺と松尾神社へ例年よりも早い初詣に行って来ました。
例年は鏡開きが終わってから小正月の間、11日~15日の間に行くのが我が家の慣習?
松尾寺へ行ってみて驚いたのは年男の私の年齢が厄年になってた事、厄年は61才迄で
終了して73才~はお祝いの年だとばかり思ってたので、、まーその考え方で良いやと・・・
此の日は奈良で初雪を観察したとのニュースが流れた日、此れを聞いてて出かけ、古札
を返納して、蝋燭と線香を灯して松尾寺へお詣りを済ませて、山の上の松尾神社へお詣
りに向かうと、丁度登り口の3重搭前で小雪がチラホラ、此れは?と思ったが直ぐ止んで
無事に3名で松尾神社へのお詣りも済ませて、松尾寺で例年の様に家内と娘はお守りを
我が家の為には熊手と縁起物の笹飾り授かり、と言っても購入だが、購入して帰った・・・
駐車場に車を置いて北惣門から入ります。
手と口を清めて
松尾寺本殿へ階段を上る
本堂(重文)
中世の真言宗本堂の典型的なもので、入母屋造り本瓦葺。本尊千手千眼観世音菩薩
(やくよけ観音)は秘仏で、年に一度11月3日に開扉されます(9:00~16:00)。内陣で
は、毎日厄除のご祈祷が行われ、厄年をはじめすべてのやくよけのご祈祷が厳修され
ます。
階段途中の閼伽井
閼伽井屋
1300年の昔から、当山のご本尊厄除観音様にお供えする閼伽水で自然湧水。この水は昔
から松尾水(まつのおのみず)と呼ばれ、不老長寿、健康のために良いと言われています。
また古来、醸造に適した水として知られ、今も境内の鎮守社「松尾山神社」の社頭には宝暦
8年(1758年)銘の石灯籠に南都で栄えた酒屋の杜氏たちの寄進名が彫られ残っています。
階段を上りきると
又、手水舎が
松尾寺・・・松尾山縁起(天平古記録)
松尾寺は、養老2年(718)、天武天皇の皇子舎人親王が、勅命による日本書紀編纂の折、
42歳の厄年であったため、日本書紀の無事完成と厄除けの願をかけて建立された日本最
古の厄除霊場です。 親王が松尾山に参詣修行し、ご祈願の養老2年2月初めの午の日、
東の山に紫の雲たなびき(瑞雲)、千手千眼観世音菩薩が天降りご出現なされたという「松
尾山縁起」により、国運隆昌・国体安穏を祈祷申し上げる勅願寺として、歴代皇室の御叡
信厚く、後水尾天皇も御持仏の如意輪観音を下された由緒ある寺です。
ご本尊厄除け観音― 千手千眼観世音菩薩(秘仏)、ご本尊の厄除け観音は、千の手、千
の目をお持ちになる千手千眼観世音菩薩(秘仏)で、図り知ることの出来ない広大な慈悲
の力を備えられ、殊に霊験あらたかと伝わります。
・千手千眼観世音菩薩立像・十一面観世音菩薩立像・日本唯一の舎人親王坐像
・日本で最大の役行者像
北惣門
小泉方面からの参道。一間の薬医門で、108段の石段を登れば本堂。手水は閼伽井から
の霊泉で“大和の名水100選”に選ばれ、参詣者をはじめ、ハイカーの喉も潤しています。
蝋燭と線香で松尾寺にお詣り
73の年男も厄年、12年後の85も厄年
なんで?神社の厄年は61で終わってるのに・・・
古札返納所の
横の階段の上に三重搭が有る
三重塔・・・ 承和2年(835)創建(寺伝)。
明治の再建説もありますが、鬼瓦に正徳三年(1713)の銘があり、旧材も一部に再用さ
れています。後水尾天皇持仏であった如意輪観世音菩薩が寄進され、祀られています。
松尾神社へ登る
先ず階段を上り三重搭前へ、小雪がチラついてきた
三重搭を過ぎると神社の鳥居が見える
鳥居の方から神社へ上る
松尾神社・・・松尾山神社(奈良時代)
春日造り桧皮葺の三社殿が並び、これに拝殿と神楽殿が配置されています。松尾大明神
を本社、清滝権現・牛頭天皇を脇社として三社斎祀しています。元観音堂跡と言われ、昭
和52年に発掘された奈良時代の鎧瓦などが宝蔵殿に展示されています。
山野上方を見ると
アンテナが・・・
帰りは鳥居の無い方を通り三重搭の後ろを通り、階段へ降りる
前方は大和郡山市
三重搭の横に到着
本殿を見下ろす位置に
階段を下りて
例年通り熊手と笹飾りを授かる
良い天気になって来た
娘と家内はお守りを授かる
帰りに鐘楼で鐘を一突きして帰る慣わし??
帰りは
山門の横に出る
近所に住む2女と3名で初詣
同じ町内に住んでる2女が初詣に行きたいと言うので家内と3名で何時もの松尾山へ・・・
厄除けの松尾寺と松尾神社へ例年よりも早い初詣に行って来ました。
例年は鏡開きが終わってから小正月の間、11日~15日の間に行くのが我が家の慣習?
松尾寺へ行ってみて驚いたのは年男の私の年齢が厄年になってた事、厄年は61才迄で
終了して73才~はお祝いの年だとばかり思ってたので、、まーその考え方で良いやと・・・
此の日は奈良で初雪を観察したとのニュースが流れた日、此れを聞いてて出かけ、古札
を返納して、蝋燭と線香を灯して松尾寺へお詣りを済ませて、山の上の松尾神社へお詣
りに向かうと、丁度登り口の3重搭前で小雪がチラホラ、此れは?と思ったが直ぐ止んで
無事に3名で松尾神社へのお詣りも済ませて、松尾寺で例年の様に家内と娘はお守りを
我が家の為には熊手と縁起物の笹飾り授かり、と言っても購入だが、購入して帰った・・・
駐車場に車を置いて北惣門から入ります。
手と口を清めて
松尾寺本殿へ階段を上る
本堂(重文)
中世の真言宗本堂の典型的なもので、入母屋造り本瓦葺。本尊千手千眼観世音菩薩
(やくよけ観音)は秘仏で、年に一度11月3日に開扉されます(9:00~16:00)。内陣で
は、毎日厄除のご祈祷が行われ、厄年をはじめすべてのやくよけのご祈祷が厳修され
ます。
階段途中の閼伽井
閼伽井屋
1300年の昔から、当山のご本尊厄除観音様にお供えする閼伽水で自然湧水。この水は昔
から松尾水(まつのおのみず)と呼ばれ、不老長寿、健康のために良いと言われています。
また古来、醸造に適した水として知られ、今も境内の鎮守社「松尾山神社」の社頭には宝暦
8年(1758年)銘の石灯籠に南都で栄えた酒屋の杜氏たちの寄進名が彫られ残っています。
階段を上りきると
又、手水舎が
松尾寺・・・松尾山縁起(天平古記録)
松尾寺は、養老2年(718)、天武天皇の皇子舎人親王が、勅命による日本書紀編纂の折、
42歳の厄年であったため、日本書紀の無事完成と厄除けの願をかけて建立された日本最
古の厄除霊場です。 親王が松尾山に参詣修行し、ご祈願の養老2年2月初めの午の日、
東の山に紫の雲たなびき(瑞雲)、千手千眼観世音菩薩が天降りご出現なされたという「松
尾山縁起」により、国運隆昌・国体安穏を祈祷申し上げる勅願寺として、歴代皇室の御叡
信厚く、後水尾天皇も御持仏の如意輪観音を下された由緒ある寺です。
ご本尊厄除け観音― 千手千眼観世音菩薩(秘仏)、ご本尊の厄除け観音は、千の手、千
の目をお持ちになる千手千眼観世音菩薩(秘仏)で、図り知ることの出来ない広大な慈悲
の力を備えられ、殊に霊験あらたかと伝わります。
・千手千眼観世音菩薩立像・十一面観世音菩薩立像・日本唯一の舎人親王坐像
・日本で最大の役行者像
北惣門
小泉方面からの参道。一間の薬医門で、108段の石段を登れば本堂。手水は閼伽井から
の霊泉で“大和の名水100選”に選ばれ、参詣者をはじめ、ハイカーの喉も潤しています。
蝋燭と線香で松尾寺にお詣り
73の年男も厄年、12年後の85も厄年
なんで?神社の厄年は61で終わってるのに・・・
古札返納所の
横の階段の上に三重搭が有る
三重塔・・・ 承和2年(835)創建(寺伝)。
明治の再建説もありますが、鬼瓦に正徳三年(1713)の銘があり、旧材も一部に再用さ
れています。後水尾天皇持仏であった如意輪観世音菩薩が寄進され、祀られています。
松尾神社へ登る
先ず階段を上り三重搭前へ、小雪がチラついてきた
三重搭を過ぎると神社の鳥居が見える
鳥居の方から神社へ上る
松尾神社・・・松尾山神社(奈良時代)
春日造り桧皮葺の三社殿が並び、これに拝殿と神楽殿が配置されています。松尾大明神
を本社、清滝権現・牛頭天皇を脇社として三社斎祀しています。元観音堂跡と言われ、昭
和52年に発掘された奈良時代の鎧瓦などが宝蔵殿に展示されています。
山野上方を見ると
アンテナが・・・
帰りは鳥居の無い方を通り三重搭の後ろを通り、階段へ降りる
前方は大和郡山市
三重搭の横に到着
本殿を見下ろす位置に
階段を下りて
例年通り熊手と笹飾りを授かる
良い天気になって来た
娘と家内はお守りを授かる
帰りに鐘楼で鐘を一突きして帰る慣わし??
帰りは
山門の横に出る