SSブログ

6月5日の岸辺駅~吉志部瓦窯跡・紫金山公園コース-1

6月6日        6月5日の岸辺駅~吉志部瓦窯跡・紫金山公園コース-1
                    JRふれあいハイキング 10㎞
此の日は天気良かった、大阪へ出て来て約8年間住んで最寄駅が千里丘だったので
岸辺駅は隣の駅、今は摂津市だが私が住み始めた時は三島郡島本町だった、懐かし
い場所、勿論1970年の万博当時も未だ此方に住んでいて土日休みの金曜日の夜は、
会社の同僚達が私のアパートに泊まり込んで万博見学に行った千里丘のボーリング
場へ早朝ボーリングに行ったりしていた懐かしい青春のく思い出の場所だった・・・
コース   JR岸辺駅 10時集合 大阪・関西歩け歩け協会主催  参加費用300円
JR岸辺駅(10時集合)~市場池公園~吉志部瓦窯跡~吉志部神社~紫金山公園~
せせらぎの道~佐井寺南ヶ丘公園(昼食休憩)~せせらぎの道~関西大学~片山公
園~片山神社~JR吹田駅(解散)    参加者171名だった様です
JR岸辺駅(10時集合)
出発式&新設された国立循環器病研究センターの横を通り
IMG_8241.JPG
IMG_8243.JPG

市場池公園へ向かう
IMG_8244.JPG
IMG_8245.JPG
市場池公園
摂津市と吹田市の境目に位置する公園です。のどかな雰囲気あふれる公園で散歩し
たりするには最適なスポットです。
IMG_8247.JPG
IMG_8248.JPG
IMG_8249.JPG
IMG_8250.JPG
IMG_8251.JPG
IMG_8252.JPG
IMG_8253.JPG
IMG_8254.JPG
IMG_8257.JPG

吉志部瓦窯跡へ向かう
IMG_8258.JPG
吉志部瓦窯跡
吉志部瓦窯跡は、延暦(えんりゃく)13(794)年に桓武(かんむ)天皇が着手した平安
京の造営当初の瓦を生産した瓦窯跡です。これまでの調査で丘陵の南斜面上段に登
窯4基、下段に平窯9基の計13基の窯跡と平窯群の背後を走る排水溝が確認されま
した。窯跡は等間隔に計画的に配置されたものと考えられます。また、近年、瓦窯の
南側で掘立柱建物跡、井戸跡、回転台跡、粘土採掘坑等の遺構が検出され、大規模
な造瓦工房を伴ったことが判明しました。
IMG_8259.JPG
IMG_8260.JPG
IMG_8261.JPG
吉志部神社
吉志部神社は、大阪府吹田市の紫金山に鎮座し、遥か古代より鎮守の社として村の人
々に崇敬されてまいりました。
社伝によりますと、崇神天皇の時代に大和から奉遷して大神宮と称し、極めて壮麗な社
殿を構えていたといいます。その後、応仁の乱で焼失しましたが、文明元(1469)年には
再建、さらに慶長15(1610)年には本格的な再造営をいたしました。本殿は、全国的にも
大変めずらしい七間社で、桃山様式の絢爛たる紋様が施された華麗な社殿でした。
その歴史的な価値の高さから国の重要文化財※に指定されていましたが、本殿建立か
ら400年を目前にした平成20(2008)年、不審火により全焼いたしました。
幾度も災禍に見舞われ、その都度、再建を果たしてきた吉志部神社ですが、この度の不
幸も氏子の皆さま、地域の皆さまのご努力とご支援を賜り、迅速な工事を進めることがで
き、平成23(2011)年5月22日、本殿および覆屋、拝殿を竣工いたしました。
新たに建てられた本殿は、保存されていた資料と半年以上を費やした火災跡の調査を基
に正確に復元したもので、400余年前の建立当時の建築様式はもとより鮮やかな装飾が
蘇りました。
※焼失によって、平成20(2008)年9月8日に重要文化財の指定は解除されました。
IMG_8262.JPG
IMG_8264.JPG
IMG_8265.JPG
IMG_8266.JPG

本殿の脇道を上る
IMG_8267.JPG
「吹田34号須恵器釜跡」があります。
吉志部神社の直ぐ横手にある吹田34号須恵器釜跡。
吉志部瓦窯で作られた軒瓦には蓮華紋軒丸瓦が6種類、唐草紋軒平瓦が5種類、
他に丸瓦や平瓦、さらに緑釉瓦が生産されていた。
瓦の供給先は平安宮が主体だが、市内の垂水南遺跡や高浜神社、枚方市百済寺
跡、茨木市新庄遺跡などでも吉志部瓦窯産の瓦が出土し、淀川・三国川(安威川・
神崎川)とその支流域に点在している
IMG_8268.JPG
IMG_8269.JPG
※吉志部古墳
吹田34号須恵器釜跡の東側に隣接して「吉志部古墳」の石柱が立っている。
墳丘の大半は流出し、石室も半壊して古墳の旧状は失われているが、横穴式石室
が現存する市内唯一の古墳である。正確な規模は明らかではないが、径 9~10m
の規模の円墳と考えられ、石室は現存部分は長さ 3.3m、幅 1.1m、高さ 0.6mであ
る。出土した須恵器等から構築時期は7世紀初頭と考えられ、当地の有力 者の墓
と考えられる。
古墳の発見当時、石室はすでに半壊していたが、残存した床面にはいくつかの副葬
品が残されていた。須恵器は完形の杯身が1点あったが、他は破片で長頸壺2点、
壺1点、はそう1点である。さらに須恵器窯の窯壁片が熔着した甕破片があり、須恵
器生産地帯の一画にある、その他に鉄刀子1点、鉄鏃1点、ガラス玉3点があり、ま
た、鉄釘があることから木棺が埋納されていたと思われる。

紫金山公園
遊具や起伏のある散歩道をはじめ、神社、国の史跡、博物館など、親子で自然を感じた
り歴史を学ぶこともできる多彩な公園です。名神高速道路を挟んで広がる大きな園内に
は広場や山道散策など様々なゾーンに分かれています。
IMG_8270.JPG
IMG_8273.JPG
IMG_8274.JPG

吹田市立博物館
IMG_8275.JPG
名神高速道路を潜る
隧道の壁画が綺麗・・・
IMG_8276.JPG
IMG_8277.JPG
IMG_8278.JPG

消防署
IMG_8280.JPG

せせらぎの道へ向かう
IMG_8282.JPG
せせらぎの道・・・水が流れていなかった
吹田市の中央付近、紫金山公園から総合運動場、片山中学校、佐井寺南が丘公園を
結ぶバス通りに沿ったゆったりとした遊歩道。延長約1.2kmの間には、「吹田の水にま
つわるストリートギャラリー」をテーマにせせらぎや壁泉のある池、掛樋をデザイン化し
た水のモニュメントがあります。
パーゴラやベンチも備えられ、木漏れ日の中で散歩や水遊び、ベンチに座っておしゃべ
りを楽しむ人々の姿が見られます。春はハナミズキ、ツツジをはじめとする花木が咲き
誇る中を、木々の緑風に吹かれながら歩くことができる道です。
IMG_8283.JPG
IMG_8285.JPG

水が流れていない
IMG_8287.JPG
IMG_8288.JPG

佐井寺南ヶ丘公園へ到着
IMG_8289.JPG
此の続きは、
6月5日の岸辺駅~吉志部瓦窯跡・紫金山公園コース-2 として
            下記のメインブログへ詳細を投稿します。
           https://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、佐井寺南ヶ丘公園~
佐井寺南ヶ丘公園(昼食休憩)
市立総合運動場の西、ちょうど吹田市の中心に位置する公園で、ゆったりとした広場
や水景、健康遊具などの施設が整備されています。植物の種類も多く、ボケ・ウメ・モ
クレン・ヤマブキ・アジサイ・ハギをはじめ様々な可憐な花木が四季を通じて咲き続け
ます。近隣公園であるこの公園と周囲の4つの街区公園は、四し神じん(玄武・青龍・
白虎・朱雀)をイメージしてデザインされたという話があります。
IMG_8290.JPG
IMG_8292.JPG
午後は
佐井寺南ヶ丘公園をスタート
IMG_8294.JPG
せせらぎの道を
関西大学千里山キャンパスへ向かう
IMG_8297.JPG
関西大学・・・千里山キャンパスの裏門から入って正門へ通り抜ける
千里山キャンパス
法・文・経済・商・社会・政策創造・外国語・システム理工・環境都市工・化学生命工学
部および大学院・関西大学第一高等学校・中学校・幼稚園
※関西大学のあゆみ
関西大学の前身である関西法律学校は、フランス人法学者ボアソナードの教えをうけ
た井上操、小倉久、堀田正忠らの司法官と自由民権運動家・吉田一士の連携によっ
て、1886(明治19)年11月4日、大阪西区京町堀の願宗寺において設立されました。
当時、大阪控訴院長であった児島惟謙は、名誉校員として創立に参画し、監督的役
割を果たしています。
    大学(旧制)への昇格
1922(大正11)年、千里山に学舎を新設。法学部と商学部の2学部をもつ大学として
認可されています。総理事兼学長となった山岡順太郎は、新しい大学の理念として
「学の実化」(学理と実際との調和)を提唱し、公開講座や語学講習会の開催、留学
生の派遣、体育の奨励などに力を注ぎました。
   今日の関西大学
現在、関西大学は法、文、経済、商、社会、政策創造、外国語、人間健康、総合情報、
社会安全、システム理工、環境都市工、化学生命工の13学部、大学院、法科大学院、
会計専門職大学院、臨床心理専門職大学院、留学生別科を擁する総合大学として
発展し続けています。
IMG_8301.JPG
IMG_8303.JPG
IMG_8308.JPG
関西大学を後に
関大を歩くと、ほっとする。
IMG_8309.JPG
片山公園(トイレ休憩)
子どもたちには「タコこうえん」でおなじみで、ピンクのタコ型すべりだいが大人気。
ほかにも地下水を利用したせせらぎやジャブジャブ池、桜や平和のバラ園など、みど
ころもいっぱいです。ほかにも中央図書館、片山市民体育館、市民プールなど多くの
公共施設が集まる、健康と文化の拠点です。

モニュメント・・・「平和と健康の鐘」銅鐸を挟んだ大きなモニュメントです。
このモニュメントは、吹田市が昭和58年(1983年)に行った「非核平和都市宣言」と
「健康づくり都市宣言」のシンボルとして、吹田市制施行50周年を記念し、平成2年
(1990年)に建てられました。モニュメント中央部の鐘は、明治22年山田村で発掘
された弥生時代の祈りの鐘である「山田の銅鐸」をモチーフにしました。
IMG_8310.JPG
IMG_8311.JPG
※平和のバラ園
赤や白、黄色のバラ園です。平和のバラは、広島で被爆者の治療に尽力した広島
市名誉市民の医師、故原田東岷さんが「地上をバラでいっぱいにし、争いのない世
界を」との願いを込めて、世界の人々に広島の名をつけた新しい品種のバラ作りを
呼びかけて作られました。中でも「メイ・ピース」は、平成9年(1997年)に広島から
贈られたバラの新種に公募で命名し、このバラ園に植栽したものです。

※壁泉(へきせん)
石積みの壁から滝のように地下水を流しています。吹田はかつて千里丘陵からの豊
富な地下水が有名でした。片山公園周辺は、千里丘陵と淀川の沖積低地との境目に
あたり、泉殿宮(いづどのぐう)の霊泉や、垂水の滝に代表されるような湧水地帯で、
ビール工場が造られる大きな要因となっていました。そこで平成2年(1990年)の公園
再整備の際に井戸を掘り、地下250メートルの地下水をせせらぎや池の水として利用
しています。地下水に含まれる鉄とマンガンを除去しているが、飲むことはできません。

ドレミの滝
階段と平行して水が滝のように流れています。階段状に壁泉からの水が流れます。
滝の段差がそれぞれ違うので、水の音を聴いていると、まるで音楽のよう?です。
IMG_8315.JPG

片山神社へ向う
IMG_8317.JPG
片山神社・・・片山神社と古代の片山
大和時代から平安時代にかける、その昔、この地より千里に至る一帯が丘陵地に
なっており、良質の粘土が多量に出土し、その頃の人達は「須恵器」や「瓦」を作り、
生計をたてていた。
この窯焼きは大陸文化によるもので、大和朝廷(4世紀・西暦300年頃)が誕生の
頃から食器類や屋根瓦の需要が高まり、その時代の成長産業であった。
この地で生産される須恵器は、質の良さから生産も相当なものであったらしい、そし
て平安京(8世紀・西暦800年頃)が遷都された頃には屋根瓦も需要も最高に達し活
気あふれる産業地域であった。
しかし、平安時代が過ぎると、これらの産業も斜陽の一途をたどり、ついには廃窯と
なり以後、この地は農耕へと移行していった。
この歴史を実証する50基余の《登窯》が発掘されている。
その頃、この地で焼き物に携わる人達が【陶芸の祖神】であり、方除け・災難除け・火
防の守護神である素盞烏尊(すさのおのみこと)を祀り崇敬を集めていたのが、当神
社の創始と思われる。
当神社は、天正の御代(室町・安土桃山時代 西暦1500年頃)の兵火と大正3年の
2回、建造物一切が焼失され、古文書等が存在していなので、建立ならび由緒等に
ついては不明である。 昭和59年に『昭和の大造営』として、老朽化が著しくなった
社殿を建て替えて、今日に至る。  御祭神 (主神)素盞烏尊 スサノオノミコト 
(相殿)天照皇大御神 アマテラススメオオミカミ、(相殿)住吉大神 スミヨシノオオミカミ
IMG_8318.JPG
IMG_8321.JPG
※スサノオノミコト
天照皇大御神(伊勢神宮)の御弟神であられ、出雲国(島根県)における八岐大蛇退
治は、災いを振り払い人々に幸運を受けた英雄の功績を称えた神話であり、〈厄除の
神様〉として、スサノオノミコトを御祭神とした神社が全国津々浦々に鎮座し人々の崇
敬を集めている。

片山神社を後に
IMG_8322.JPG

アサヒビール吹田工場の横をJR吹田駅へ
IMG_8323.JPG

JR吹田駅(解散)
その他 お・ま・け
八幡屋公園のジャカランダ
朝潮橋迄出て八幡屋公園のジャカランダを撮ってかえりました。
十数本あるジャカランダの木、花が咲き始めてるのは3本~4本だけでした。
IMG_8328.JPG
IMG_8329.JPG
IMG_8332.JPG
IMG_8335.JPG

nice!(4)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。