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11月22日の平群の郷と歴史探訪・竜田川駅-1

11月27日       11月22日の平群の里と歴史探訪・竜田川駅-1
                   歩こう会 会員例会 歩程約8㎞
此の日の参加者は93人、3班に分かれてボランティアガイドの案内で歩いた。
コース  今回の案内は平群観光ボランティアガイドの会にお願いしました。
竜田川駅(受付)~烏土塚古墳~石床神社(旧社)~石床神社・消渇神社~
西宮古墳・中央公園(昼食&トイレ休憩)~平群神社(集合写真)~道の駅・
平群(トイレ休憩)~椿井井戸~椿井春日神社~宮山塚古墳~平等寺春日
神社~長屋王墓~吉備内親王墓~平群駅(解散)
平群観光ボランティアガイドの会の皆さん、お世話になり、有難う御座いました。
此の日の私の万歩計は21290歩で約14km歩いた事に・・・
志都美駅へ向かう
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   西名阪自動車道の高架
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志都美駅
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近鉄生駒線
王寺駅で乗り換え
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近鉄生駒線竜田川駅(受付・スタート)
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烏土塚古墳
平群町HPより引用
竜田川の西岸、南北方向の独立丘陵に古墳時代後期に築造された北面する
前方後円墳。墳丘は全長60.5m、後円部径35m、高さ約9m、前方部幅31m
あり、平群谷最大規模の古墳。墳丘は一段築成で葺石はなく、墳頂寄りに1.5
~2m間隔で円筒埴輪を並べていたらしい。墳丘西裾では幅約2mの小規模
な周溝が確認されている。 主体部は南に開口する両袖式の横穴式石室。西北
西800mの石床神社付近(越木塚)から運ばれた巨石を用い、奥壁と前壁は垂
直に、両側壁はやや持ち送られて積まれいる。石室は、玄室長6m、幅2.8m、
高さ4.3m。羨道長8.2m、幅1.6~1.9m、高さ2mあり、玄室幅に比して高さの
ある石室構造である。玄室奥側の天井石は特に大きく、玄室長の75%を一石
で縦方向に架構している。 被葬者は不明。
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烏土塚古墳前の釣り堀
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釣り堀の横を
石床神社旧社地へ向かう
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もうすぐ石床神社(いわとこ神社)旧社地・・・石垣の上へ登る
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石床神社旧社地
越木塚集落の南側、竜田川の支流、伊文字川の川沿い近くに鎮座。
平安時代の「延喜式」に大社として記載され、古社の多い平群谷の中でも異彩
を放つ。大正13年に北200mの集落内に移され、現在は消渇神社と祀られてい
るが、旧社地はそのまま在る。その最大の特徴は、巨大な岩が御身体となって
いることで、崖に高さ8m、幅役30mの巨岩が露出し、中央に亀裂が入っている。
古来、この岩が御身体の磐座で、その形態から「陰石」(女性のシンボル)信仰
として祀り伝えられてきたものと考えられる。祭神は剣刃石床別命。なお、還座
された新しい神社には本殿、拝殿が立てられ御身体は陽石(男性のシンボル)
様の自然石である。
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石床神社&消渇神社(しょうかち神社)へ向かう
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石床神社&消渇神社(しょうかち神社)
石床神社
石床神社由緒記 平群村越木塚青年団建設
平群石床神社は醍醐天皇の御代紀元千五百八十七年延喜式神名帳に記され
式内大社にして諸祭には畏くも朝廷より奉幣の御事あり御創立舒明天皇の三
年即ち紀元千二百九十一の歳肇国創業の御功神饒速日尊を祀らせ給いしに
創る。高さ九米巾十八米余餘の巨石を御神体とする古代の神社形式を保ちこ
の巌下より湧出する清水は萬病の薬になると「和名抄」に載せられたり境内の
消渇神社は分霊の祀る社なるべし。
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消渇神社(しょうかち神社)
室町時代に旅の僧、信海が病に倒れて動けなくなり、土の団子を供えお祈り
すると、神の加護により病が治ったとされる。その後、「下の病気」に効くとの
うわさが広がり、江戸時代には大阪、奈良、京都方面から、芸妓をはじめ多く
の人が参拝したといわれている。現在も、『土の団子12個を供えてお祈りし、
病気が治るとお礼に米の団子12個を供える』という風習が受け継がれている。
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此の続きは、
11月22日の平群の郷と歴史探訪・竜田川駅-2 として
             かきのメインブログへ詳細を投稿します。
           http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、西宮古墳へ向かう~
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西宮古墳
7世紀中葉に作られたとされる一辺約36m、高さ約7.5mの方墳。三段に築成さ
れ、墳丘の全面に貼石が施されている。石室は切石を用いた優美なもので、天
井、奥壁、側壁のすべてが一枚石で構築されている。石室内に兵庫県竜山石
製の刳抜式家形石棺の身部が残っており、外面の上下に帯状の突帯(とった
い)が掘りだされている。石室への入室も可能である。県史跡指定。
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平群中央公園で昼食&トイレ休憩
紅葉が綺麗
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平群神社お詣り&集合写真を撮る
平群神社
大山祇神(おおやまつみのかみ)を祭神とする。延喜式では「祭神は平群神社
五座」とあり、式内大社である。古代豪族、平群氏の祖神を祀った可能性も考え
られる。割拝殿の前には江戸時代の石灯籠が数基並んでいる。この地は弥生
時代の集落遺跡があった丘陵部分であり、立地的には平群の中心にあたる。
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平群道の駅へ向かう
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平群道の駅でトイレ休憩
ソフトクリームが美味しかった

笠地蔵・・・椿井線刻石仏
椿井村の西入口に祀られた線刻の笠石仏。角柱状の石材を壷形に彫り込み、
如来立像を線刻し、上部に扁平な自然石を乗せる。高さ94.5cm、幅44cm、彫
り込み71×29cm、仏身58.5cm。顔から胸の部分が信者が撫でた手ズレによっ
て摩滅しているが、精緻な線刻で表現され、仏身の周囲、彫り込み内に一五の
種子が配されている。本来の像容ははっきりしないが地元ではミロク(弥勒)と呼
んで信仰している。胸の付近で折れているが、昔、牛馬をつないでいて引き倒さ
れて折損したという。三郷町総持寺の一針薬師笠石仏や勢野西墓地の線刻阿
弥陀石仏等との類似性が指摘されており、鎌倉中期を下らない作と考えられて
いる。
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椿井井戸
椿井春日神社の参道、常念寺 の前に地名の興りとなった古い井戸がある。
これが「椿井井戸」で、今も清水が湧いている。井戸の横には、文政 4 年(1821)
の立派な石碑が立てられている。この井戸には、椿井氏の祖先と伝えられる平
群神手将軍の逸話が伝えられている。廃仏派の中心人物・物部守屋 の 征伐
(587年)の時、崇仏派として聖徳太子と共にに参加した神手は苦戦を続け、兵
の士気が衰えてしまう。神手は、挽回と戦勝を祈願に訪れた時、椿の杖を突き
立てると、不思議なことに杖は一夜にして芽を吹き、きれいな冷泉が湧きだした
という。これを飲んだ聖徳太子や兵たちは、士気が大いに盛り上がり、守屋との
戦いに大勝することができたといわれている。
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宮山塚古墳
5世紀後半に作られたとされる直径約26m、高さ約7mの円墳で、主体部は南に
開口する古式の横穴式石室である。玄室(げんしつ)の四壁は、下半部分は垂直
に積まれるが、上半部分は内側に持ち送られたドーム状になっており、明確な天
井石はない。近畿地方でいち早く横穴式石室を取り入れた古墳として知られてい
る。天井付近の一部に崩落があるため、石室への入室はできない。県史跡指定。
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椿井春日神社
祭神は天児屋根命。椿井の集落のすぐ上の丘陵に鎮座する。正面の本殿は、桁
行2.9m梁間2m向背の出が97㎝と1.9mの春日造朱塗りで屋根は板葺。棟には千
木堅魚木がおかれている。創祀・由緒はわかっていない。本殿内左右に木造狛犬
が奉献されている。椿井井戸の伝承では、平群氏の祖神を祀ったとされる。また、
社地の西側に隣接して県史跡の円墳、宮山塚古墳がある。ここから出土した兜を
祀ったことから兜大明神とも呼ばれている。

平等寺春日神社
平等寺集落。矢田丘陵の裾野の小高い場所にあります。由緒ある神社と堂の池。
集落とこの地でくらす人々を、昔も今もそっと包み込み見守っているかのようです。
そんな感情豊かな思いを抱かせる、夕時の一瞬。平等寺集落。矢田丘陵の裾野
の小高い場所にあります。由緒ある神社と堂の池。集落とこの地でくらす人々を、
昔も今もそっと包み込み見守っているかのようです。そんな感情豊かな思いを抱か
せる、夕時の一瞬。茜色に染まった空と龍にも似た一本松を堂の池が静かに映し
出す。心に残る夏の夕暮れです。茜色に染まった空と龍にも似た一本松を堂の池
が静かに映し出す。心に残る夏の夕暮れです。
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平等寺春日神社前の溜池(堂池)
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長屋王墓へ向かう
長屋王墓
長屋王は奈良時代初期に活躍した皇親政治家。天武天皇の孫。高市皇子の第一
皇子で、藤原不比等の死後左大臣に昇進するが、藤原氏の巻き返しで謀反の罪を
きせられ、夫人の吉備内親王と四人の息子とともに自殺に追い込まれ生駒に葬ら
れたとされる。平群梨本に夫人とともに墓があるという江戸時代の伝承にもとづい
て、宮内庁が明治34年(1901年)に現在地を墓所に治定した。吉備内親王の墓と
ともに古墳を再利用した可能性がある。
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長屋王墓公園で解散
次回12月度例会は灘5郷の酒蔵訪問・・・

おまけ・・・プラタナスの葉?
平群中央公園で拾った大きな紅葉、A4サイズよりデカイ・・・
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