SSブログ

11月26日の鮮やかな紅葉、竜田川を歩いてみませんか-1

12月2日      11月26日の鮮やかな紅葉、竜田川を歩いてみませんか
                 近鉄駅フリーハイキング  歩程約6㎞
知人と2人で参加、朝はさむかった、寒い!寒い!と手袋を持って出かけた。                  コース 近鉄駅フリーハイキング  生駒線王寺駅受付ハ 9時半~11時 
王寺駅(受付)~神岳神社(かみおか神社)~三室山~竜田公園・竜田城跡~
吉田寺(ぽっくり寺)拝観~龍田神社~竜田公園・もみじ祭り~王寺駅
10時スタートで此の日の私の万歩計は、23136歩で約15.5km歩いた事に・・・
志都美駅へ向かう
PB266357.JPG

   葛下川
PB266359.JPG
  
   高速道路高架
PB266361.JPG
志都美駅
葛城山~二上山、ホーム横のセイタカアワダチソウ、電車
PB266363.JPGPB266365.JPGPB266367.JPGPB266369.JPG
神岳神社(かみおか神社)
当神社は法隆寺の西側にあたる三室山の中腹に位置し古代は社殿などの建造
物はなく 自然の森や山を神地としての信仰であったといわれている。聖徳太子は
飛鳥より産土神(神名不詳)をこの地に安置し、 太子の勅願所として祭祀されて
いたがいつしか祭神は須佐乃男命を奉祀している。須佐乃男命は別名を「牛頭
天王」と呼び、内陣鳥居前には「牛頭天王」と刻んだ四基の 石灯籠がその歴史を
今日に伝承させている。旧村社、神岳神社は延喜式神名帳巻九(延長5年)に平
群郡神岳神社と、また大和国平群郡神社 明細帳(明治12年7月調)にも社格を
明記されている。この社殿を構えるにあたり、拝殿より一段高い所に小規模の社
殿は一間春日造(春日大社と同じ) の桧皮葺(老朽化により昭和61年銅板葺に
改修)で身舎は円柱で前後に二分し、四面に 花鳥の透彫蟇股を組み随所に極彩
色を施してる。組物は出三斗組で二軒繁棟木をうけている。 向背部は一間とし中
備に蟇股を入れ身舎間は繁虹梁を用いず、手挟みで納めているのは 小規模な社
殿としては類例が少ない。向背垂木にほか浜床部分の壁板等一部の補修はして
あるが殆ど構造物の部材を残し木鼻、虹梁、 蟇股の絵様及び構造形式よりみて
江戸時代初期を下らない構造物であるとの学者説である。なお、古文書によれば
境内地には神佛が習合する神宮寺の神南寺観音堂(通称上ノ堂ともいい 今も残っ
ている小字上ノ堂の意味)があったが、神佛分離によって本尊地蔵菩薩、聖観音
菩薩の佛像は神南融念寺(恵宝殿)に安置されている。堂跡地とみられるあたり
から「神南寺」 と刻印した屋根瓦片の出土があり保存している。
PB266371.JPGPB266374.JPGPB266376.JPGPB266378.JPG
三室山
平安時代の歌人・在原業平や能因法師の歌など、多くの和歌に詠まれている
ことでも知られる。三室山は、古来から神の鎮座する山とされており、別名を
神南備山とも、三諸山とも言い、地名である神南の由来となっている。聖徳太
子が斑鳩宮を造営するにあたり、飛鳥の産土神をこの地に勧請されたのが由
来となっており、その神々は現在神岳神社に祀られている。
頂上には高さ1.9mの五輪塔があり、能因法師の供養塔と伝えられている。もと
は神南の集落にあったとされるが、三室山が公園として整備された際に山頂に
移された。山の大半を含む周辺はすぐ近くを流れる竜田川の沿岸と共に「県立
竜田公園」となっており、ソメイヨシノやモミジの名所となっている。
PB266382.JPGPB266384.JPGPB266386.JPGPB266388.JPGPB266390.JPG
竜田公園・竜田城跡
竜田公園
平安時代に在原業平が詠んだ「千早ふる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水
くゝるとは」という一首をはじめ、百人一首の能因法師ら数多くの歌人に詠まれた
古よりの紅葉の名所竜田川畔[1][2]は竜田大橋を中心とする長さ1.4キロメートル、
面積14ヘクタールを整備した都市公園である。遊歩道の総延長約2kmで、平成
12年4月に駐車場と管理棟が設置された。晩秋の紅葉のほか、現在は春は桜の
名所としても広く知られる。
龍田城
三室山の対岸、北東方向に木立覆われた白山神社がある。この神社の裏に「コ
字型」のため池がある。この池こそ龍田城外堀だ。 堀の内側は、完全に住宅地
となり遺構一つ残ってない。 唯一、この堀が城の遺構といえる。
龍田城は、室町時代に一乗院方衆徒龍田氏に築かれ、天正年間までこの居城し
た。 慶長6年、片桐且元が摂津茨木より28,000石で入封して、龍田城跡に新
たに近世城郭の基本を取り入れた陣屋を築いた。
その後、元和元年には加増され4万石を領した。 しかし、元禄7年に片桐氏は断
絶、陣屋も廃された。 尚、且元の弟片桐貞隆は、龍田の隣り大和小泉16,000
石を領して明治まで続いた。
PB266392.JPGPB266394.JPGPB266396.JPGPB266398.JPGPB266400.JPGPB266402.JPGPB266404.JPGPB266406.JPGPB266408.JPGPB266410.JPGPB266412.JPG
※片桐且元
片桐 且元(かたぎり かつもと)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大
名。賤ヶ岳の七本槍のひとり。
豊臣家の直参家臣で、豊臣姓を許される。関ヶ原の戦い以降も、傅役として豊臣秀
頼に仕えていたが、徳川家康に協力的な立場で、方広寺鐘銘事件で大坂城を退出
して徳川方に転じた。且元系片桐家初代で、大和国竜田藩初代藩主となる。弟に同
国小泉藩主となった片桐貞隆がいる。

吉田寺(ぽっくり寺)へ向かう
PB266414.JPGPB266416.JPGPB266418.JPGPB266421.JPGPB266423.JPGPB266425.JPGPB266427.JPGPB266429.JPG
此の続きは、
11月26日の鮮やかな紅葉、竜田川を歩いてみませんか-2 として
               下記のメインブログへ詳細を投稿します。
             http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、吉田寺(ぽっくり寺)~
吉田寺(ぽっくり寺)拝観
吉田寺(きちでんじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある浄土宗の寺院である。俗に
「ぽっくり寺」の名で親しまれ、年配の参拝者が多い。本尊の阿弥陀如来像と、境
内にある承応元年(1652年)建立の多宝塔が重要文化財に指定されている。
寺伝によれば天智天皇の勅願により創建されたとされ、近くには妹・間人皇女
(はしひとのひめみこ)を葬る古墳がある。平安時代の永延元年(987年)に天台
僧・源信(恵心僧都)が開山したとも伝えられる。
PB266432.JPGPB266436.JPGPB266440.JPGPB266442.JPG
龍田神社
崇神天皇の時代に創立され、法隆寺の鎮守とされていた。伝承によれば、聖徳
太子が法隆寺の建設地を探し求めていたときに、白髪の老人に化身した龍田大
明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」
と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神
社を創建したという。元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」で、その名の通り
龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていた。延喜式神名帳に
もこの名前で記載され、小社に列している。しかし、後に龍田大社より天御柱命・
國御柱命の二神を勧請したため、元々の祭神は忘れられてしまった。現在は天
御柱命・國御柱命を主祭神とし、龍田比古神・龍田比女神を配祀している。
PB266453.JPGPB266457.JPGPB266460.JPG
竜田公園へ向かう
竜田公園
平安時代に在原業平が詠んだ「千早ふる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水
くゝるとは」という一首をはじめ、百人一首の能因法師ら数多くの歌人に詠まれた
古よりの紅葉の名所竜田川畔[1][2]は竜田大橋を中心とする長さ1.4キロメートル、
面積14ヘクタールを整備した都市公園である。遊歩道の総延長約2kmで、平成
12年4月に駐車場と管理棟が設置された。晩秋の紅葉のほか、現在は春は桜の
名所としても広く知られる。
PB266472.JPGPB266476.JPGPB266478.JPGPB266480.JPGPB266482.JPGPB266486.JPGPB266492.JPGPB266494.JPGPB266496.JPG

モミジ祭りの賑やかな市が・・・
PB266498.JPGPB266500.JPG
王寺駅~バスで自宅最寄りのバス停
おまけ
高速道路の裏道&自宅の花
PB266502.JPGPB266505.JPGPB266508.JPGPB266506.JPG
PB266509.JPG

nice!(6)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。