4月28日の食い倒れのまちと、三社巡り-1
5月7日 4月28日の食い倒れのまちと、三社巡り-1
近鉄駅フリーハイキング
此の日は知人と4名で近鉄ハイキングに参加、我々4名二とっては、14時~の銭湯と
15時~他のメンバーと合流して居酒屋での恒例の昼飲み会・・・
コース 大坂阿部野橋地下東改札前で受付9:00~11:00 歩程約8km
大阪阿倍野橋(受付)~ジャンジャン横丁~新世界・通天閣~シャープ恵比寿ビル跡
~今宮戎神社~大阪木津卸売市場~難波八阪神社~高島屋~黒門市場~真言坂
~生国魂神社~藤次寺~近鉄上本町駅~バスで阿倍野へ~てんしば・天王寺公園
(昼食)~湯処・あべの橋~JR天王寺駅で2名と合流~6名で居酒屋・甘太郎へ
此の日の私の万歩計は、19316歩で約14.2km歩いたことに・・・
ジャンジャン横丁
新世界・通天閣
シャープ恵比寿ビル跡
18Fのビルが?ホテル?
今宮戎神社
大阪木津卸売市場へ向かう、道路脇のシャリンバイ
大阪木津卸売市場
難波八阪神社
創建年月日など詳しい資料は残っていませんが、社伝によれば古来「難波下の宮」と
称し難波一帯の産土神でした。後三条天皇の延久(1069年から1073年)の頃から祇
園牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りする古社として世間に知られていました。
境内に戦艦陸奥主砲抑気具記念碑が有ります。
此の続きは、
4月28日の食い倒れのまちと、三社巡り-2 として
下記のメインブログへ詳細を投稿します。
http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
未だ続く難波八阪神社の途中~
難波八阪神社の続き、戦艦陸奥の・・・
高島屋
黒門市場
真言坂
生国魂神社
藤次寺
藤次寺(とうじじ)は、高野山真言宗の寺院。山号は如意山(にょいさん)。
弘仁年間(810年~824年)に藤原冬嗣の発願により、甥(おい)の、任瑞上人を開基
とする。藤原家の安泰を願い建立された。藤原家を治める寺であるでゆえに、藤冶寺
と称していたが、明治初年には、生玉十坊の一つである地蔵院を合併し、藤次寺と改
称し、現在に至っている。
藤原氏の祈願寺として、藤原氏一門より、深い帰依を受け栄えていたが、寺運の盛衰
があった。慶長年間(1596年~1615年)に、加藤清正が大檀主となり、金堂、伽藍、
堂宇などを建立した。広大な寺域(境内)を持ち、壮観であったと言う。
中興憲遵阿闍梨の時には、如意宝珠融通尊への信仰が盛んになり、「大阪の融通さ
ん」と称されて、多くの人々の信仰を集めている。 明和元年(1764年)、中興清範和
上の時、九条尚実が家運長久を祈るため永代不易の祈願寺として改めて、旨辞を授
けた。江戸時代末まで、九条家(五摂家の一つ。藤原兼実が祖。)の祈願寺であった。
作家・山崎豊子の墓所も藤次寺にあり、墓石の右隣には山崎が生前執筆した全28作
の作品名が刻まれた石碑も存在する。
近鉄上本町駅~バスで阿倍野へ
てんしば・天王寺公園(昼食)
湯処・あべの橋
JR天王寺駅で2名と合流
6名で居酒屋・甘太郎へ
近鉄駅フリーハイキング
此の日は知人と4名で近鉄ハイキングに参加、我々4名二とっては、14時~の銭湯と
15時~他のメンバーと合流して居酒屋での恒例の昼飲み会・・・
コース 大坂阿部野橋地下東改札前で受付9:00~11:00 歩程約8km
大阪阿倍野橋(受付)~ジャンジャン横丁~新世界・通天閣~シャープ恵比寿ビル跡
~今宮戎神社~大阪木津卸売市場~難波八阪神社~高島屋~黒門市場~真言坂
~生国魂神社~藤次寺~近鉄上本町駅~バスで阿倍野へ~てんしば・天王寺公園
(昼食)~湯処・あべの橋~JR天王寺駅で2名と合流~6名で居酒屋・甘太郎へ
此の日の私の万歩計は、19316歩で約14.2km歩いたことに・・・
ジャンジャン横丁
新世界・通天閣
シャープ恵比寿ビル跡
18Fのビルが?ホテル?
今宮戎神社
大阪木津卸売市場へ向かう、道路脇のシャリンバイ
大阪木津卸売市場
難波八阪神社
創建年月日など詳しい資料は残っていませんが、社伝によれば古来「難波下の宮」と
称し難波一帯の産土神でした。後三条天皇の延久(1069年から1073年)の頃から祇
園牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りする古社として世間に知られていました。
境内に戦艦陸奥主砲抑気具記念碑が有ります。
此の続きは、
4月28日の食い倒れのまちと、三社巡り-2 として
下記のメインブログへ詳細を投稿します。
http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
未だ続く難波八阪神社の途中~
難波八阪神社の続き、戦艦陸奥の・・・
高島屋
黒門市場
真言坂
生国魂神社
藤次寺
藤次寺(とうじじ)は、高野山真言宗の寺院。山号は如意山(にょいさん)。
弘仁年間(810年~824年)に藤原冬嗣の発願により、甥(おい)の、任瑞上人を開基
とする。藤原家の安泰を願い建立された。藤原家を治める寺であるでゆえに、藤冶寺
と称していたが、明治初年には、生玉十坊の一つである地蔵院を合併し、藤次寺と改
称し、現在に至っている。
藤原氏の祈願寺として、藤原氏一門より、深い帰依を受け栄えていたが、寺運の盛衰
があった。慶長年間(1596年~1615年)に、加藤清正が大檀主となり、金堂、伽藍、
堂宇などを建立した。広大な寺域(境内)を持ち、壮観であったと言う。
中興憲遵阿闍梨の時には、如意宝珠融通尊への信仰が盛んになり、「大阪の融通さ
ん」と称されて、多くの人々の信仰を集めている。 明和元年(1764年)、中興清範和
上の時、九条尚実が家運長久を祈るため永代不易の祈願寺として改めて、旨辞を授
けた。江戸時代末まで、九条家(五摂家の一つ。藤原兼実が祖。)の祈願寺であった。
作家・山崎豊子の墓所も藤次寺にあり、墓石の右隣には山崎が生前執筆した全28作
の作品名が刻まれた石碑も存在する。
近鉄上本町駅~バスで阿倍野へ
てんしば・天王寺公園(昼食)
湯処・あべの橋
JR天王寺駅で2名と合流
6名で居酒屋・甘太郎へ